思考実験をしてみる (2005.1.8)

 どの国にも宗教がある。そして、多くの宗教はあの世があることを前提としている。これは単なる偶然だろうか? あの世が本当にあって霊能者がそれを感知することができるから、そうなったのではないか、という考え方がある。死後生がないのなら世界中で宗教が興るはずがない、というわけだ。私は死後生を否定したいのだからこれでは困る。そこで思考実験をしてみることにする。

 今、5人の若者が無人島に漂着したとする。そのうちの一人、大木一郎がリーダーに選ばれた。機械もインターネットもない。大昔の人と同じ状況である。とにかく、なんとかして生きていかなくてはならない。5人は食べられそうな木の実を取り、木の棒を尖らせて魚を突いたりする。ちょっと強引な仮定だが、彼らはあの世とか天国とか地獄といった概念を知らないものとする。大昔の人と同じ条件にしたいからだ。

 それでもどうにか暮らせるようになってきたある日、斉藤が言うのだ。
「俺達、いつまで生きていられるのかな」
 何年後、いや何ヶ月後、いや何日後まで生存できるか分からない過酷な状況である。斉藤の言葉に仲間達全員が不安になる。大木はリーダーとしてなんとかしなければならない。
「頑張るんだ。何もないところからこんな立派な小屋まで作れたじゃないか。やればできる!」

 そのうち仲間の結束がくずれてくる。鈴木は作業をさぼるようになり、斉藤はそんな鈴木と対立する。鈴木と堀内は5人のうち唯一の女性、池田佐織を取り合う始末だ。そこで大木はルールを作る必要を感じる。作業分担を決める。が、ただ決めただけでは守ってくれそうにない。罰が必要だ。さぼった奴はその日の晩飯を抜きとする。池田佐織との恋愛は当面禁止とする。

 大木がルールを発表すると、みんなの猛反対を食らう。「確かにお前をリーダーにしたが、裁判官にした覚えはないぞ。罰とか、そんなことをどうしてお前に決める権利があるんだ」と。

「なあ、俺達ってこんなに頑張っても、死んだら全部無駄になるんだよな」 斉藤は相変わらずマイナス思考なことばかり言う。「どうせそんなに長く生き残れないんだし、頑張っても無駄じゃないのか?」
 大木は、みんなの不安が最高潮に達していることを感じる。もう、「頑張れば死なないさ」では通用しそうにない。大木は知恵を絞り、想像力を駆使し、いい事を思いつく。
「俺達はこんなに頑張ってるんだから、死んだらいい所に行くんだ。きれいな家に住んで、腹いっぱいうまいものを食うんだ」
 じゃあ死んだ方がいいじゃん、という反論が浮かんだのですぐに付け足す。
「ただし、頑張ったらの話だよ。頑張らないと今よりもっと悪い所に行く」

 死んだら無になるのではない。死んだ後の世界があるのだ、という大木の斬新な発想は、他の4人に少なからずショックを与えたようだ。大木を含めてみんなあまり勉強熱心ではなかったので、「意識は脳が作り出すもので、脳の機能が停止した後に意識があるわけがない」という考えには至らなかった。

 大木は死後の世界を「あの世」と名づけた。頑張れば行けるいい世界を「天国」、悪い世界を「地獄」と呼ぶことにした。
「なあなあ、悪い世界って、どんなのだよ」と鈴木は聞いた。
「そうだなあ」大木は少し考えて、答えた。「砂漠をさまようんだ。永遠に。あと、南極みたいに寒い所に閉じ込められるとか」
 鈴木は作業を一生懸命こなすようになった。
「ねえねえ、いい世界って、どんな所だ?」と斉藤は聞いた。
「そうねえ」大木はこめかみに指を当てて考え、答えた。「寿司でもステーキでも、食い放題さ。豪邸、いや、城だな。城に住んで葉巻を吸うんだよ」
 斉藤はプラス思考になった。

 これはいいぞ、と大木は思う。現実的なことを言っても、誰も聞いてくれなかった。ところが誰にも確認しようのない空想世界を語っただけで、彼らは驚くほど変わった。やがて5人は実のなる植物を栽培し、食うための猪を飼って増やすまでになった。狩りをするための道具も次々に作っていった。

 ところが、時がたつにつれて、あの世の効力は薄れてきた。
「おいお前ら、さぼったら地獄に堕ちるんだぞ。けんかしたら恐ろしい世界に行くんだぞ」
 鈴木は答えた。
「ふん、そんなのどうせお前の空想だろ」
 鈴木は再びさぼるようになり、斉藤もマイナス思考に戻っていった。

 ああ、俺の力はなんて小さいんだろう。人間って、なんてしょうもない生き物なんだろう。大木の中に絶望感が広がっていく。そうだ、人間を超える者の存在が必要だ。大木はそれを「神」と名づけた。

 はい、宗教のできあがり。

 少々強引だが、こんな感じで宗教ができるのは当然じゃないだろうか。大昔の人達はちょうどこの5人のように貧しくひもじかったのではないか。だから死後の世界に救いを求めたとしても不思議じゃない。知識がない分、5人より不利だ。人体の構造なんて知らない。脳なんか知らなかったのだ。心がどこにあるのかも分からない。だから魂というものを考えついた。
 国によって言葉は違う。しかし脳の構造は似たようなもんだ。考えることは同じだ。どの国でも死後生の存在を前提とした宗教ができるのは当たり前と言えないだろうか。

 思考シミュレーションを続けることにする。

 大木は熱心に神の存在を語った。みんな目をむき、口をポカーンと開けて聞いている。
「俺の勝手な想像じゃない。神様が言ったことなんだ。宇宙を作ったのも神様だ。神様ってのは、それくらいすごいんだ。神様に逆らったら地獄に行くぞ」と大木は言った。
 鈴木は眉をひそめた。
「お前、神様に会ったのかよ。どこにいるんだよ」
 さて困った。だがこれはすぐに解決策が見つかった。
「神様はあの世にいるんだよ。でも、精神統一すれば、こう、目の前がふわーっと白くなって現れるんだ。あれ? お前らは会えないの? てっきりみんな会えるのかと思った」
 みんな、「神」という斬新な発想に再びショックを受けたようだ。鈴木は熱心に働き、斉藤は前向きな発言が多くなった。なにしろ頑張ればお城で豪華料理、さぼれば砂漠だ。砂漠を永遠にさまようのは嫌だ。

 大木は昔手品に凝ったことがある。そこで、4人にいろいろな手品を見せて神の存在をより強固なものにしていった。

 そんな中、悲劇が起こった。池田佐織をめぐって鈴木と堀内が大喧嘩をやらかしたのだ。そして、鈴木が堀内を石で殴り殺した。
 みんな、鈴木を処刑しようと言い出した。それは困る。一人戦力が減っただけでも手痛いのに、もう一人減らせるわけがない。大木はとりあえず3日ほど鈴木を飯抜きにした。なにしろ神の代弁者に成り上がったのだ。罰を決めるのも自由だ。だが誰かがまた誰かを殺したら困る。そこで、地獄をもっと厳しくした。人を殺したらバラバラに切り刻まれることにした。
「切り刻まれるって、麻酔なしでかよ」と鈴木は言った。
「当然だろ」
 みんな震え上がった。

 小便をしにいった斉藤が、真っ青な顔をして戻ってきた。
「堀内が、堀内がいたんだよ!」
 かわいそうに、気の弱い斉藤は大木が説いた死後生のせいで、幻覚を見たのだ。 今更ありゃ全部嘘だよとは言えない。だが、この事件は大木にとって有利に働いた。死後生が存在することをさらにみんなに信じ込ませたのだ。大木はこれを「幽霊」と名づけた。

 月日は流れ、またも悲劇が起こった。斉藤の悪い癖、マイナス思考が出たのだ。ある朝彼は木の枝からぶらさがっていた。パニックが起こった。
「もう嫌だ! 俺も、俺も死ぬ!」鈴木はわめいた。
「私も死ぬ! もうこんなの耐えられない!」佐織は泣き叫んだ。
 大木は地獄の内容を追加した。自殺したら木になって1億年ほど身動きできないことにした。

 さらに何年もたち、大木は佐織と結婚していた。そりゃあそうだ。女性は誰だってさぼる上に殺人者である男よりリーダー格の男を選ぶだろう。子供ができた。二郎と名づけた。やがて大木一郎も佐織も、鈴木も亡くなり、二郎が一郎の意志を引き継いだ。そして三郎へ、四郎へとリーダーとしての仕事は受け継がれていった。遥かなる時が流れた。

 科学が発達し、蒸気で動く車ができ、空を飛ぶ機械ができた。浅瀬を埋め立てて島は大きくなった。大木一郎の時代から比べると、地獄の内容は恐ろしく残酷になっていった。なにしろ人間は悪いことをしたがるものだ。刑務所を作り、何年も牢屋に閉じ込めても、また同じ犯罪をする奴が出てくる。悪事の内容が増えるたびに地獄の罰は付け加えられていったのだ。

 さらに時が経ち、大木百十五郎の代になる頃には、すっかり宗教はすたれていた。「神の声を聞いた」と言っていたのは大木三十六朗くらいまでで、三十七朗あたりから宗教をメンテナンスしなくなった。つまりその時代その時代の状況に合わせて宗教の内容に手を加えるということをやめてしまった。今までの宗教をそのまま民に教えるという形のみになった。医学が発達し、七十八朗の代に、意識は脳が作り出すものだということが解明されたことが決定的だった。

 死後生はないという前提で、宗教が発生してから廃れるまでを考えてみた。言うまでもなく、これは一つの仮説に過ぎない。ついでだから、これからどうなるのかということまで考えてみる。

 大木三百四十二朗の代に、年金が問題になってきた。医療が発達しすぎて老人がなかなか死ななくなった。若者は結婚することを嫌がった。結婚した者も、子供を作るのを嫌った。大木二百二十五朗の代に、「争うことをやめよう」という法律ができたのだ。それまではずっと、派閥間で戦争が絶えなかった。平和になり、豊かになり、甘やかされて育った若者が大人になるということを繰り返すうちに、誰も親になる責任を負いたがらなくなったのだ。こうして老齢化少子化が進んでいった。

 命の価値が軽くなっていた。人が余る時代となった。リストラが横行し、三十代以上の者は再就職が難しかった。若者も働きたがらなくなった。争わないと決めた結果、子供達はおおっぴらに喧嘩をしなくなり、陰湿ないじめがはびこった。

 鬱の時代が到来していた。自殺したら1億年身動きできないという大木一郎の教えは、もはや知る者もほとんどいなかった。というより、誰もあの世など信じていなかった。二十代、三十代の死因のトップが自殺となった。家族が悲しむだけで、他人は「関係ないね」というドライな人間関係となった。一人でも欠けると困るという大木一郎の時代とは大きく変わっていた。親が子を殺し、子が親を殺す時代だった。

 さらに時がたち、大木家の子孫はもういなかった。「人間なんてみんな死んじゃえ」と思う奴などいくらでもいた。そのうちの一人が島中に火を放った。

 こうして、島の歴史は終わった。


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