仏教以外 (2005.1.22)

 既成宗教については仏教について調べてきた。世界三大宗教はキリスト教、イスラム教、仏教である。後の2つはあの世をどんなふうに考えているのだろうか。宗教については新宗教の所で決着がついたのでもう調べても仕方ないのだが、一応書いてみる。

1.キリスト教

 カトリックでは、死後5つの場所のどれかに行くことになっている。

場所 内容
地獄 邪悪な人間が行く。
天国 キリストを信じ、徳に生きた人が行く。
辺獄 キリスト以前に生れた義人、徳高い異邦人たちは父祖の辺獄に行く。
幼児の辺獄 洗礼を受けないで死んだ幼児は、幼児の辺獄に行く。
煉獄 キリストを信じたが、罪を犯しその償いが果たされていない人間が、浄化のために行く。罪悪感のため火に焼かれるような苦しみを味わう。浄化されると天国に行く。

 プロテスタントでは、あらゆる人間は生れながらにして罪人であり、死後永遠の地獄行きが定められている。ただキリストを信じ、「義」とされた人々だけが永遠に天国に入ることができる。

 カトリックにしろプロテスタントにしろ、天国に行くためにはキリストを信仰することが大前提となっているので、仏教徒もイスラム教徒もみんな地獄に堕ちる。

 で、気になる地獄だが、仏教では一番詳しいのは往生要集で、キリスト教では一番詳しいのはダンテの神曲であるらしい。

 ダンテの神曲の地獄
場所 内容
第一環 「辺獄」とも呼ばれる。洗礼を受ける前に死んだ子や、キリストが生まれる以前の人達がいる。亡者は怠け者でぶらぶらしており、みな裸である。蝿や蜂のためにひどく刺されている。(前に、その内容から怠け者が堕ちる地獄だと書いたが、どうも違うようだ。)
第二環 愛情をもてあそんだり、異性をだました者がつむじ風にまきこまれたり鬼にいじめられたりする。
第三環 金持ちで美食にふけった者が怪獣チェルベロに腹を裂かれはらわたを食われている。
第四環 けちんぼうと無駄遣いの者達が堕ちる。重い物を胸の力によって引き上げ、互いに突きあったりののしりあっている。
第五環 やたらに腹を立てて人を殴ったり、不快にした、いわば腹を立てやすい人が堕ちる。互いに蹴飛ばしあい殴りあい、かみついて体の肉を食いちぎったりしている。
第六環 熱地獄。正しいキリスト教の信仰を持たなかった異端者が堕ちる。熱いだけでなく激烈な悪臭に満ちている。
第七環 3つの部分に分かれている。
  • 人に暴力をふるった者が煮えたぎる血の河で煮られている。
  • 自殺者が木になって怪鳥アルピエについばまれている。
  • 神に暴行を加えた者が乾いた熱砂の上を歩んでいる。火のあられが永劫にふりそそいでいる。
第八環 十に区分されている。
  • 女性を誘惑したりだましたりした者が鬼達にムチで打たれている。
  • こびへつらった者達が糞尿の池にひたっている。
  • 僧職でありながら悪事を働いた者が石の穴に逆さに入れられ、下から煙をたかれている。
等。
第九環 4つに区分されている。
  • 近親を裏切った者が氷づけにされている。
  • 第二(自分の国を裏切った者)、第三(客を裏切った者)の場所も氷結された人の群れで埋まっている。
  • 自分の主人を裏切った者(キリストを裏切ったユダとか)が地獄の帝王ルチフェロの口の中に入れられ、チューインガムのようにいつもかまれている。

 往生要集では条件が論理積になっていたからまだいいが、金持ちで美食にふけってこびへつらった者はどこに行くのか? より重い方に包含されて第八環か? では金持ちでもなく美食もしなかったがこびへつらった者も第八環なので不公平ではないか? 女性をだました者は第二環なのか第八環なのか? たぶんだまし方がひどければ第八環なのだろうが、その線引きはどこでするのか? というか罪のあいまいさについては往生要集の所でさんざん文句をつけたし、似たようなもんなので以下省略する。

 なお、偉そうに往生要集とかダンテの神曲とか書いているが、私はそれらの本を読んだわけではない。解説本である。元のダンテの神曲にはもっと詳しく書いてあるのかもしれない。

 キリスト教世界の基本的な教理は、聖書ではなくむしろギリシャやエジプトやバビロンなどの古代神話に基づいているという。聖書自体には地獄も煉獄も書かれていないそうだ。むしろ聖書には「死んだら無になる」旨が書いてあるという。

  • 生きている者は自分が死ぬことを知っている。しかし、死んだ者には何の意識もない。……シェオル(墓)、すなわちあなたの行こうとしている場所には、業も企ても知識も知恵もないからである。(伝道の書 9:5,10)
  • 人は死ぬと自分の地面に帰る。その日に彼の考えは滅びうせる。(詩編 146:4)

 だから、聖書を信じるのであれば地獄について恐怖する必要はない。

2.イスラム教

 イスラム教では全能の神アラーの前に絶対である。死後の世界は生前どれほど全能の神アラーに祈り行動したかによって決定される。どうも罪や心の善し悪しは関係ないらしい。

 熱心な信者はアラーの玉座の近くに召され、夜も昼も果てしない祭宴が続く。

 不信者や異教徒は火の着物を着せられ、上から熱湯が注がれる。皮膚が焼けただれるたびに神は皮膚を取替え、何度でも懲罰する。熱湯の泉水を飲まされ、与えられる食い物はトゲだらけの草ばかり。

 神を絶対的に信仰しなければならないのだから、無宗教の日本人にはまったく想像もできない生活である。そのかわり神さえ信仰すれば殺生しようが妄語しようが自殺しようがこびへつらおうが構わないのだからうらやましいとも言える。


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