必要悪は必要なのか? (2005.2.22)

 矛盾を含んだタイトルである。「必要な悪じゃん」と。

「ごくせん」を見た。ヤンクミは真面目でまっすぐな人だが、結局は力で解決しているじゃないか、と思うのだ。といっても、「ごくせん」も「ヤンクミ」も知らない人にはなんのことやら分からない。ごくせんというのは、主人公の教師、ヤンクミが正義となって悪をばったばったとなぎ倒すマンガで、ドラマ化されている。ヤンクミは女教師だが家がヤクザである。出来の悪い生徒達が不良や悪い組織によって毎回危機に陥る。そこで、水戸黄門のように悪人達に人の道を説き、かかってきた相手を蹴散らし、教え子達を救うのだ。

 マンガにケチをつけても仕方ないが、ヤンクミが本当に正しい人であるならば、暴力をふるうべきではないのではないか。水戸黄門は警察の代わりといってもいいし、北斗の拳は警察に頼れる状況ではない。何の権利があってヤンクミは相手をボコボコにできるのだろう。現実的には、警察に通報するのが妥当だと思う。が、そんなことをしたら出来の悪い生徒までなんらかの罰を受けるので、ヤンクミが成敗するしかないのだろうか。それ以前に毎回警察に通報して解決だったらマンガにならないが。

 とにかくヤンクミは強い。たった一人で何人もの相手を退治するのだ。ウルトラマンでいえばスペシウム光線だ。それ以前の攻撃はなんだったのかと。ヤンクミの正義感は、悪人達にとって何の効力もない。結局暴力で解決である。このマンガにとってヤンクミの暴力は必要不可欠なのだ。

 必要悪について話すと、「なんて冷たい人間だ」と思われるのがオチだろう。高校生の時、「戦争は必要だ」と言った子がいた。こいつなんてこと言うんだと思ったが、先生は彼をほめたのだ。彼のような意見も大事だと。私は誰かに話す勇気はないが、卑怯にもここにこっそり書いておくのである。

 私はいじめは必要悪だと思う。「私は」と断わらなくても、多くの人は心の中ではそう思っているのではないか。口には絶対出さないが。いじめる側が完全に悪い、いじめられる側は少しも悪くない、などと、誰が言えるだろう。いじめる側が完全に悪いケースというのはそんなに思いつかない。不幸な事故で顔にやけどを負ったとか、親が外国人であるとか、家庭が貧乏だとか、チビでブスだとか。いじめの原因が容姿や家庭の事情である場合、完全にいじめる側が悪いのだろう。が、それはむしろ特殊なケースではないかと思う。

 そうではなくて、いじめられる側の性格に起因する場合である。ひねくれているとか、人の嫌がることばかり言うとか、明らかに本人が悪い場合もあるだろう。が、この場合も、いじめられた結果ひねくれて、余計にいじめられるという悪循環に陥っているのかもしれない。

 よく「生意気だ」という理由だけでいじめ殺したことがニュースで報道される。テレビを見た人はいじめた側が完全に悪いと思うだろう。だが本当にそうなのか? どう生意気だったのかが問題だ。非常に内向的で、言いたいことも言えない子がある日「やめてくれよ」と言った。それで壮絶ないじめにあった。そういうケースばかりなのだろうか。少なくとも視聴者が抱くイメージはそうである。ドラマとかでもそんな感じだろう。だが、現実はそれほど単純明快なのだろうか。いじめる側は、たったそれだけのことで死ぬまでいじめつくすほど残酷な奴ばかりなのだろうか。

 つまり、本当に生意気だったのではないか。スネ夫より嫌味な奴だったのではないか。とにかく、テレビは「生意気だという理由だけで」としか伝えてくれないので、具体的な状況が分からない。

 ひねくれていたり、人の嫌がることばかり言ったり、生意気であったりする場合、本人に気づいてもらって改善してもらうしかないのだが、まあ無理だろう。ジャイアンに「お前その傲慢な態度、やめろよ」とか言って通じるだろうか。ってジャイアンはいじめる側か。

 では内向的であるためにいじめられる子はどうなのか。容姿や家庭環境といった外的要因でもなく、かといって性格が悪いとも言えない。もっとも人によっては「暗い」のも「悪い」と考えるだろう。だが、「ひねくれている」とか「人の嫌がることを言う」とは種類が違う。

 動物には縄張りがある。人間も動物なので、縄張りの本能がある。電車に乗ってはじっこの席にすわろうとするのはこの心理のためだと言われている。誰でも、それ以上近寄られると不快に感じる領域を持っている。特に満員電車では不快感は最高潮だ。

 ずっと前にテレビで見たのだが、人を満員バスに乗せて脳波を測定するという実験をやっていた。被験者は不快な時の脳波となる。ところが今、満員バスの中にいるのに脳波は不快を示さず、ニコニコしている人がいる。さてどうしてでしょうか?

 なぞなぞのようだが真面目な実験である。答は、「周りが全員友達だから」である。そういう場合、人間は縄張りを侵されても不快を感じないのだ。

 学校は狭い教室にたくさんの人間を押し込める。席も決まっている。塾では決まっていない。どこにすわっても自由だ。なぜだろうか。学校では人間関係も学ばせる必要があるからだと思う。大学ではもはや人間関係を学ばせる必要はなく、学問だけを学ばせる。だから席が決まっていない。もっとも最初に学校を作った人はそんなことは考えておらず、結果的にそうなっているのだろうと思うが。

 そんな状況では縄張りの本能によって、周りの人間とうまくやっていかなければお互いに不快を感じるのだ。他人の嫌がることばかりする人がいじめられるのは明らかだが、そういう事情で内向的な人もいじめられる。本気でいじめをなくしたいのであれば、塾や大学のように席を決めなければいいのだ。そうすれば隣の人と人間関係を作る必要もない。好きな者同士で集まってすわればいいのだ。

 が、それでは社会に出てから困るので、席は決まったままで変わらないだろう。社会に出ればさらに条件が厳しくなるのだ。周りの人と良好な人間関係を築けるだけでなく、求められる成果も出さなければならない。両方ともできない人は、社内いじめで自ら進んで退職願を出すように仕向けられる。これは想像だが、はっきり「辞めてくれ」と言われるより、こっちの場合の方が多いと思う。「辞めろ」と言えば問題になるからだ。労働組合に言いつけられたり、辞めた後で裁判起こされたりしたら大変だ。よほどの問題を起こさない限り、会社の方からクビにすることはできない。

 年に1、2回上司と部下で面接を行い、今後どうすれば成長するかについて話し合いが行われる。会社からすればチャンスを与えているのだ。それで本人が成長しなければどうしようもない。

 学校も会社もない村の時代でも、周りの人とうまくやっていけない人間は村八分にされたのだ。

 もう一つ、私が必要悪だと思うものがある。それは自殺である。あくまでも倫理観は無視して、自然とか人類全体で考えた場合である。そもそも地球にとって人間という種は森林を破壊し他の種を絶滅させオゾン層を破壊し増殖し続ける有害な生物である。ずっと前に上岡竜太郎と笑福亭鶴瓶がやっていた番組で上岡竜太郎が高齢化少子化についてこう言っていた。「人口が増え続けているんだから、生まれる子供が減るのは正しいことだと思いますねえ」と。

 まったく同感である。人口が増える一方だったらそのうち悲惨なことになる。なにもかもが足りなくなるだろう。最初に電車を作った人は、今の過酷な満員電車を想像できただろうか。今は人口調節の過渡期であって、そのうち正しい人口バランスに戻るのではないかと思う。自然はそういう調整機能を持っているのではないかと。つまり、人口が増えすぎたら自動的に少子化になることまで、人間のDNAに組み込まれているのではないかと思う。今後もずっと過渡期は続き、各家庭の家計を圧迫し続けるだろうが、そんなものは自然からすればほんの一瞬でしかない。

 日本の人口は大昔(縄文時代)から緩やかに増え続け、明治維新後急激な増加を始めた。これは2006年ごろピークを迎え、減り始めると予測されている。減る原因は出生率の低下だ。私は戦争によって大幅に人口が減ったものだと思っていたが、どうもそうでもないらしい。

 日本の自殺死亡数は徐々に増えており、明治32年は5932人/年、平成15年は32109人/年である。自殺死亡率(/人口10万人)でいうと、ところどころ山がありつつも(急激に増えて、急激に減る)、大体20人前後で増減し、たいして変わらない。が、男に限ると明治32年から平成15年までの統計で、平成15年は38人で過去最悪である。現在日本の20代、30代の死亡原因は自殺がトップである。やはり不況のせいだろうか。

 一説によると、不況の原因は各家庭に必要なものが揃ってしまったからだそうだ。かつてテレビと冷蔵庫と洗濯機は三種の神器と呼ばれ、みんな欲しがった。が、どの家にも揃ってしまったらもう売れない。ビデオやパソコンにしても同じことである。ちなみに、DVD、デジカメ、薄型テレビが最近の三種の神器であるらしい。

 大学卒業者のうち無業者の割合は1991年から増え始め、1991年は5.2%、2000年は22.5%である。

 警察庁によると中高年男性を中心に負債や生活苦など経済・生活問題が動機の自殺が急増しているとのことである。自殺の原因とされる問題のうち最も多いのが健康問題、次が経済・生活問題、さらに家庭問題だという。東京都立衛生研究所は「日本における自殺の精密分析(1999)」で「自殺の増減は景気の動向と密接に関連している」と指摘している。

 人口が増えると自殺者も増えるようになっているのだ。私はこれも、人口調整機能としてDNAに組み込まれているんじゃないかと思う。

 あくまでも集団とか自然とかの視点で見るといじめや自殺が必要悪だと言っているのであって、個人個人の生き方という視点で見るとまったく当てはまらない。


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