真っ暗闇の世界は本当なのか? (2005.5.27)

 検索していたら、アンジー・フェニモア著、「臨死体験で見た地獄の情景」という本を見つけた。まさに私が今知りたいことそのものずばりの書名である。で、買って読んでみた。臨死体験研究者がちょろちょろっと事例を紹介するのではなく、体験者本人がまるまる一冊に渡って体験を語っているので詳しく書いてある。

 前半が幼少時からの悲惨な人生、後半が臨死体験となっている。で、30ページほど読んだ時点で「こりゃ創作だな」と思った。この女性は、子供の頃のことをびっくりするほど細かく覚えているのだ。

 ある金曜の晩、父はわたしとトニを連れてハンバーガー屋にいき、食事がすむと、これからブランディの家にいくぞと言った。わたしはサニーとレニーが大嫌いだったので、「いきたくない」と言った。
 父は「いいじゃないか、すぐ帰るから」と言い、わたしの訴えに耳を貸さなかった。
 トレイラーハウスのリビングルームには、古新聞やビールの空き缶が散らかっていた。部屋のすみには、ガラスの水槽がある。深さや大きさは、わたしのもっていた空気でふくらますゴムのプールと同じくらいだ。水槽には水と石と藻が入っていて、そのまわりに赤外線ランプがあった。ブランディとサニーは、その水槽で、レニーがかわいがっている赤ん坊のワニ2匹を飼っていた。ブランディが、父と、けわしい顔のサニーを連れて寝室に入ると、わたしは少しほっとした。彼らがいなくなれば、トニとふたりで、レニーと、シューシューいうワニのそばにとり残されることになるのだが。
 レニーがポルノ雑誌をめくっているあいだ、トニとわたしはびくびくしながら、ぴったり身を寄せ合って、すりきれたベロアのカウチにすわっていた。レニーは、特に気に入った写真があると、ごていねいにもそれを見せてくれた。わたしとトニは、どうしようもなくみじめで不安で、ひとことも口がきけなかった。

 こんな調子で、ずっと続く。私が子供の頃の出来事を思い出そうとすると、とてもじゃないがこんなに詳細には思い出せない。

 正月に親戚がたくさん家に集まって、料理を食っていた。私は急須に水が入っているのを見つけた。それをコップに注ぎ、一口飲んだ途端、あまりのひどい味にむせかえり、吐き出し、泣いてしまった。それは水ではなく焼酎だったのだ。

 こんなもんである。とても何十ページにも渡って書けない。親戚は誰と誰がいたのか、その時親はどんな対応をしたのか、全然覚えていない。

 だが、これには別の解釈も成り立つ。臨死体験の要素の一つに、人生のパノラマ回顧があるのだ。この女性も大きなスクリーンに今までの人生が、時代を追って、3次元スライド映画のように映し出されるのを見ている。その時の記憶があれば、こんなに詳しく書くこともできるだろう。ところが、臨死体験を終えて目を覚ますと、再生された記憶の場面をほとんど忘れていたという。思い出せたのは、一番初めの誕生の場面と母の腕に抱かれている場面、幼児期のハイライトシーンの一部だけだったというのだ。

 ううむ、またしてもウィリアム・ジェームズの法則である。幼児期のハイライトシーンの一部を覚えているから、何十ページにも渡って、しかもどんな部屋で、どんな水槽だったかまで書けるとも言える。しかし、一部にしてはちょっと多すぎないか? やっぱり作り話じゃないの? とも思える。

 で、親が心の病にかかっていたり性的虐待を受けたりと悲惨な人生を歩み、そのことが彼女の人格に暗い影響を与え、結婚生活もうまくいかず、鬱病になり、ついには手首を切った上で薬を大量に飲んでしまう。

 そして、ここが一番重要な部分だが、彼女が行った世界は以下のようである。

  • 闇に浮かぶ薄暗い平面で、見渡す限りずっとその平面が続いている。地面は固いが、足元に渦巻く黒い霧におおいつくされて見ることはできない。その霧は腰までの深さがある。
  • 自分の周りに質素な家具が散らばっている。鏡台、椅子等。
  • 子供を除いたあらゆる年齢層の男女がいて、立ったりしゃがんだりうろうろ歩いたりしている。ぶつぶつ独り言を言っている者もいる。見た所全員白人である。
  • 思考が声になって伝わる。が、みな自分の考えに没頭し、自分のみじめさのことしか考えておらず、そのせいで他の人と知性や感情のやりとりができずにいる。
  • ある女性の考えは明確に感じ取れた。自分のしたことは間違っていない、自分は悪くないのだ、と繰り返し考えていた。彼女は何年も前からここにいて、誰も聞いてくれないのに、空疎で無意味な言い訳をくどくど繰り返しているように見えた。
  • みんなそんな感じだから、周りに人がたくさんいるのに完全にひとりぼっちである。
  • 心に質問を思い浮かべたり、好きな方を見たりするだけで周囲のことを完璧に感じ取り、理解することができる能力を持っているのに、愛も、プライバシーも、眠りも、友人も、光も、成長も、慰めもない−−学ぶべき知識がなく、使い道もない。

 本当かなあ。腰まで黒い霧があるのに、どうしてしゃがんでいる人や椅子が見えるのだろう。椅子の形は詳しく描写されている(背もたれと座部は木製でニスが塗ってあり、それががっしりした金属のフレームと脚に留めてある)。

 とはいうものの、好きな方を見るだけで完璧に理解できると書いてある。じゃあどうして地面は見えないの?

 なぜこの人にだけ家具が用意されていて、他の人にはないのだろう。また、SAW(映画)ふうに言えば、この椅子と鏡台は、何に使うのか? 鏡台はあきらかに自分のために用意されたものだと分かったが、その意味を理解できたのは何年もたってからだという(意味は書いてない)。周囲のことは何でも完璧に理解できるのに、どうしてその時分からなかったのだろう。

 アンジー・フェニモアは隣にいる男性を見て、その風貌から「この人、キリストを裏切ったユダじゃないかしら」と思う。途端に目の前に神が現れる。内側から光を発し、白いローブをゆるやかにまとった男性で、胸板は厚く、腕はがっしりと太く、筋肉がくっきり盛り上がっている。神は言う。「おまえは本当にこれを望んでいるのか?」

 ローブをまとっているのに、どうして胸板や筋肉が見えるのだろう。まあ、見るだけで完璧に理解できるのだから、ローブの下まで分かるのかもしれない。だとしたら、神の内臓まで見えそうだ。

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 で、キリストも現れて(こちらは人の形をしていない。闇の中から何本もの細い光が出ている。私だったらそっちが神でローブを着た人がキリストだと思う)、二人して彼女に「魂の法則」を教える。その内容は以下の通り。

  • 人を傷つけた時は、その代償として必ず苦しみを受ける。
  • 自殺した場合も、そのことによって残された夫や息子が不幸になるので、その代償として苦しまなければならない。
  • この闇の平面は魂の休憩時間であり、ここで自分の犯した罪の重さを知り、その償いをする。
  • そこから一瞬で出られるのか、何千年もかかるのかは、その人がどの時点で光(神、キリスト)を見ようとする意志をもつかにかかっている。
  • じゃあ、自殺したくなったらどうすればいいかというと、聖書を読んでお祈りをするのが唯一の解決策だ。

 こりゃあ、困った。これじゃ、聖書なんか読んでいない大部分の日本人は救われない。で、アンジー・フェニモアの前になぜすぐに神が現れたかというと、「この人、キリストを裏切ったユダじゃないかしら」と思ったことが、キリストの存在を信じていると解釈されたからだという。これまた、キリストを信仰していない日本人にとっては困る。闇の世界に落ちたら永遠に出られないではないか。

 この本に書いてあることが本当で、人を傷つけたり自ら生を閉じたりして、もし真っ暗闇の世界に行ったら、すぐさま「神様、キリスト様、助けて下さい。私が悪かった」と叫ぶことだ。一瞬にして救われる。

 現世で鬱だった人に、自ら人生を放棄した罰として、生きていた頃とは比べ物にならないほどの鬱を与えるなんて、神はなんてひどいんだろう。神は愛じゃないのか? カウンセラーが鬱病の人を救おうとする時、そんな逆療法はやらない。カウンセラーの方がよっぽど愛であふれている。

 この本もそうだが、やっぱりあの世が人間向きに作られているのは納得いかない。蟻はどうなるのか? 蟻は精神的な意味で他の蟻を傷つけないし、神もキリストも信仰していない。

 またこの「魂の法則」ときたら、精神論者でも考えつきそうなことではないか。全知全能の神が、精神論者レベルか?

 残念ながら、検索しても臨死体験者が見た地獄について具体的に書かれた本というと、この本くらいしか見つからなかった。ひょっとして「臨死体験者の地獄は真っ暗闇の世界」と言っている人は、みんなこの本を根拠にしているんじゃないだろうな、などと思う。もしそうなら、みんながたった一人の証言に振り回されているということになる。

 全然関係ないけど、ついでだから重箱の隅をつついておく。丹波哲郎の映画「大霊界」、「大霊界2」によると、あの世は反物質でできているという。すると、その住人である霊魂も反物質でできているのだろうか。こりゃあ大変だ。反物質と物質が衝突すると対消滅を起こして莫大なエネルギーを放出する。霊魂がふわふわとただよってきて、胎児の中に入り込んだ途端に大爆発を起こす。あっちこっちの産婦人科がドッカンドッカンいっているだろう。


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