天国か地獄かは運次第 (2005.9.5)

 この間モーリス・ローリングス著「死の扉の彼方」は絶版本だから手に入らない旨を書いた。手に入った。古本屋サイトでなら絶版本も買える。いやあ、インターネットは便利だね。

 臨死体験者で地獄を見たのは自殺未遂者だけだ。ならば自殺さえしなければ大丈夫なのだな? と思ったが、残念ながらそうじゃなかった。モーリス・ローリングス博士は医者である。他の臨死体験研究者は医者じゃないから、実際に臨死体験をしているその瞬間は見てないんじゃないの? だから取材をした臨死体験者は天国を見た人しかいないんじゃないの? と博士は言う。博士によると、実際には臨死体験者の半数は地獄を見ているという。「先生! 私を死なせないで下さい。私をこんな恐ろしい世界に行かせないで下さい!」とわめいていた患者が、後で聞くと「はあ? 私はそんな事言ってませんよ」と言うのだそうだ。いい記憶は残るが、悪い記憶は忘れ去られてしまうのだと言う。だから安楽な世界を見た臨死体験者ばかりとなる。

 モーリス・ローリングスによると、臨死体験者の見た地獄は以下のようである。

No. 死にかけた理由 見た地獄
1トレスル(構脚橋)から足を踏み外し、池に落ちた。 火の大海の岸辺近くに立っていた。火の中には誰もいない。そばをキリストが通りかかった。「もし彼が俺を見てくれたらここから救い出してくれるはずだ」と思った。キリストは彼を見、彼は生き返った。
2心臓発作 なにか陰気な部屋に入っていった。窓からグロテスクな顔の巨人がのぞいていた。窓の下枠にはちっちゃな小鬼だか妖精だかが走り回っている。巨人はいっしょに来いと手招きした。外は真っ暗でトンネルか洞窟のようだった。
3膵臓の炎症 長いトンネルか洞窟のような所を浮遊しながら動いていた。地下のようだった。そこで働いているものの中には半身半獣みたいなのが幾人かいて、分からない言葉で話し合っていた。光を放射している白い衣をつけた大きな人が現れたので「イエス様、助けて下さい!」と叫んだ。「今と違う生き方をせよ」と言われ、戻された。
4 闇の中を下へ下へと降りていった。やがて巨大な炎の球が見えてきた。自分のわきに霊的な存在者を感じた。その生き物は彼を連れて炎の球の中に入ろうとした。同時に遥か上の方から声が聞こえた。英語ではなかったので内容は分からなかったが、神の声だった。彼は引っ張り上げられた。
5アスピリンを大量に飲んだ。 地獄の鬼(デーモン)達が彼女を傷つけようとしている。
6ヴァリウムを大量に飲んだ。 暗い穴をぐるぐる回りながら降りていった。するとキラキラする赤熱のスポットが見え、大きくなっていった。真っ赤で熱く、火が燃えている。地面はじくじくする泥で、足までつかっていた。「おお、主よ、私にもう一度チャンスをお与え下さい」と叫んだ。どうやって戻ってきたか分からない。
7アミタールを大量に飲んだ。 大きな不吉な感じのする洞窟で、2人のサタンが引っ張り合っている毛布の上に乗せられ、上下に揺すぶられた。
8暴漢に襲われ、殴る蹴るの暴行を受けた。 途方もなく大きな真っ暗闇の空間だった。光の存在がいたが「自分は死の天使だ」と名乗った。「お前を連れていくこともできるのだが、2度目のチャンスが与えられているだろうから、今は帰ってよろしい」と言われた。

 どうやら暗闇か炎の世界のようだ。この中で自殺未遂者は5、6、7番目の事例であり、他は違う理由である。では、他の人達はそんなに悪い奴だったのかというと、それは分からない。特に、2番目の人は日曜日には欠かさず教会に行くほどの敬虔なクリスチャンである。するともう地獄に堕ちる条件が分からない。

 ちなみに8番目の例は、光の存在だからといって神とは限らないことを表しているという。

 この間NTVスーパーテレビで臨死体験の特集をやっていた。臨死体験者が集まって座談会をやっていた。その中には自殺未遂者も含まれていたが、彼は地獄を見なかったようだ。地獄を見た人もいたが、そのおばちゃんは自殺未遂ではない。ではおばちゃんが悪い奴だったかというと、そういうふうには見えなかった。

 こうなるともう天国に行くか地獄に行くかはランダムだとしか言いようがない。東洋の思想でも、死後閻魔様その他の神様に裁かれるが、判決はどんどん先送りにされるのだ。で、最終的にどうなるかというと、6つ門があって(六道だから)、どれを通るか自分で選べと言われるのだそうだ。そう、ランダムなのだ。今までの裁判はなんだったのかと。

 モーリス・ローリングスの結論は、とにかくキリストを信仰することだという。今までの生き方を改め、善に生きるのだと。これでは大部分の日本人は困る。イスラム教徒も仏教徒もみんな困る。私の結論は違う。幻覚なんだからランダムなのは当たり前だ。

 とはいうもののみんな闇か炎の世界を見ている。幻覚だったらこんなに共通するわけがないと、現実体験派は言うかもしれない。地獄といえば暗くて炎の燃えている世界だと誰だってイメージするのではないかというのが私の推測だ。日本人の場合、あとはせいぜい血の池とか針地獄くらいか。

 NTVスーパーテレビで、脳に電磁波を当てて臨死体験を起こす研究をしている人が紹介されていた。その人によると、普段は左脳と右脳の機能はきっちり分かれているが、死のような大きなストレスを受けると左脳と右脳のイメージがぐちゃぐちゃに混ざり合って妙な幻覚を見るのだという。電磁波を当てることでストレスを与え、今までに何度も擬似的な臨死体験を起こさせることに成功しているという。

 この話に興味を持った地獄を見たおばちゃんもこの実験を受けた。そして見事に臨死体験をした。おばちゃんの話し方は、本物の(?)臨死体験と擬似的な臨死体験とで、そんなにリアリティに差がなかった。本物の体験はリアルで、擬似的な臨死体験は夢のようだったというのなら、本物の方は現実体験なのかもしれない。しかしそうではないのだ。大差ないのだ。

「死の扉の彼方」には、何回も死にかかり、何回も臨死体験をした人の事例も出てくる。なんと最初の体験は地獄で次の2回の体験は天国だったというのだ。どういうことやねんと。神様がその人の善し悪しとか、カルマがどれだけたまっているかとか、そういうので行き先を決めているとしたら、こんないい加減なことはない。

 前に読んだアンジー・フェニモアもそうだが、地獄に堕ちたにもかかわらず神を感じたり助けを求めたりするだけで許してもらえる。現世ではそうはいかない。いくら裁判官に謝ったところで罪を犯せば牢屋に入れられるのだ。万が一現実体験だったとして、地獄に堕ちたとしても、神に助けを求めればいいのだ。一瞬にして地獄から出してもらえる。


[目次へ][前へ][次へ] inserted by FC2 system