小説を書くという事 (2003.10.19)

 小説を書く、という事について考えてみる。とはいうものの、もう四ヶ月ほど書いていない私である。私が小説を書き始めたのは、六年くらい前だ。なぜ書き始めたのか。当時、インターネットはまだメジャーではなく、パソコン通信全盛の時代であった。私も、興味はあった。しかし楽しめるコンテンツといえば、人が書いた小説を読むくらいしかなかったのだ。最初は、いわゆるROMであった。Read Only Member、つまり読むだけで書き込まない人だ。そうこうするうちに、自分でも書いてみようと思いたった。記念すべき第一作は、確かコンピュータのsleepというコマンドを使ってアリバイを作るという推理物であった。historyというコマンドであっという間にばれてしまうという、今思えばつまらない話であった。長さも、ショートショートほどの分量もない。ちなみに、投稿場所はNifty Serveである。今その小説を、もっとたっぷりと書き込んで復活させる気があるかというと、ない。第一今ここでネタバレしてしまった。それと、人から頼まれて紙の原稿を自分が打ち込んで投稿した、という形式で書いたものもあった。その小説は三部に分かれているので、書き込みも三回に分ける。で、「あとがき」として、「あ、ごめんなさーい。逆順にアップしちゃいました」と書くのである。で、読者は三つを逆順に読んでもちゃんと小説として読めることを知ってびっくりする……はずであった。反応は、なかった。小説のページを見ていただくと、私の一作目は「マカジャ・ハーンの呪い」である。実際にはそれ以前にもいくつか書いているのである。しかしそれらの話はもう残っていない。私の思い出の中にのみ存在する。今復活させる気があるかというと、ない。

 小説のページを見ると、書き始めた当初は結構な勢いで書いている。最初のうちはいろいろな話が思い浮かぶのだ。そして、最初のうちはすごいアイディアだ、と思っているのである。「おおすげえ!」、「面白かったですぅ」とかいう感想がつきまくると想像するのである。投稿してみて、そうではないという現実に直面させられる。今これを読んで、「俺はそんな事なかったよ。一作目から評価良かったよ」と思った人が、ひょっとしたらいるかもしれない。そういう人は不愉快だ。私の心は嫉妬の炎に焼かれ、身は黒焦げになる。そういう人は、ああさっさとプロ作家になるがいいさ。

 が、こういう勘違いも必要だと思う。つまり、誰もが「あっ、そう。で?」と思うような話を「私は天才だ」と思いながら書く情熱である。「自分が今書いている小説は全然すごくない。つまらない話だ」と思っていたら、書き続けることなどできないだろう。

 偉そうに書いているが、私は素人である。新人賞応募回数、三回。ショートショートコンテスト応募回数、二回。一次予選も通りゃしねえ。あくまでも趣味として書いているのか、それともいつかはプロになりたいのか、そんな事はとっくの昔に分からなくなってしまった。そういう人である。プロフェッショナルになるとしたら、私がたどってきた道はあきらかに間違いである。ショートショートを月に一、二本とかそういうペースで書いても、絶対にプロにはなれない。ともかく大量に書け! 質は後からついてくる。それが小説家になるための修行である。ショートショート作家なんて、今はインターネット上のアマチュアしか存在しない。短編作家の場合は、副業が必要である。筆一本だけで飯を食えるのは長編作家、しかも売れっ子のみである。ましてやSFなんてあなた、今は絶滅ですよ。

 ちなみに、別に小説にはこだわらない、文筆家であれば何でもいい、ということであれば、フリーライターという道がある。この場合、ほっといても仕事が来るという事はない。あちこちの出版社に電話をかけ、アポを取り、担当者に会って「こんな仕事があったら回してください」と頼むのだそうだ。それが主な営業方法で、あとはそれ関係の掲示板(インターネット)に書き込んだり、メールを送ったりするのだそうだ。むろん、書く記事の内容については専門知識が必要だ。

 もっと詳しく知りたい人は、「作家になる方法」といった類の本がいくらでもあるのでお読みいただきたい。きっと作家志望者のあなたを絶望させてくれるでしょう。いやいや絶望させちゃいけませんな。要は、それなりの努力が必要だということだ。

 趣味で書く人は、自由に書けばいいと思う。一文字でもいいから、とにかく毎日書くんだ、などと自分を追い詰める必要もない。私のように、最後に書いたのが四ヶ月前だったりしてもいい。書くのは、誰だってやりたい。が、書き続けるのは苦しいのだ。ただし、文章にはマナーがあるので、それは守った方がいいと思う。これも「作家の書く文章」といった類の本で調べて頂きたい。インターネットで調べればタダである。今ぱっと思いつく分だけ書いてみる。

  • 段落の頭は一文字空ける。
  • 会話文のカッコ(「)は行頭に書く。
  • 閉じカッコ(」)の前には句点(。)をつけない。
  • 同じ言葉はできるだけ連続して使わない。
  • 擬音語、擬態語はなるべく使わない。
  • 体言止めを多用しない。
  • 一つのシーンは四枚以上書く。シーンの中では視点を変更しない。
  • 誤字脱字を残さない。
  • 行空けはシーンの区切りを表す。だから、それ以外の所では行を空けない。
  • 点々は「……」を使う。「・・・」や「...」は使わない。「…」もだめ。
  • 記号を多用しない。(!、……、等。)
  • 「だ、である」調と「です、ます」調を混在しない。
  • 「!」、「?」の後ろは一文字空ける。

 私の小説は、古いものになるほどマナーを守っていない。申し訳ない。ちなみに、私の場合この中で一番頭を悩ませるのは「同じ言葉の連続使用」である。

 なお、これらは規則ではない。マナーである。「これを守らないと読みにくくなる」、というテクニックである。だから、全員が同じ考えだとは限らない。例えば「体言止めを多用しない」については、私も自信がない。「え、そんなのあったっけ?」と思う人がいるかもしれない。「一つのシーンは四枚以上書く」と書いたが、「そんなの決まってないだろ」と言う人もいるだろう。またインターネットで小説を発表することが広まったので、こういった古来のマナーより見易さを優先する考えも出てきたようだ。だから、「段落の頭は一文字空ける」、「シーンの区切り以外では行を空けない」、「点々は"……"を使う」といった事は、やらない人も多いようだ。少なくとも小説以外のページではこういったマナーは通用しない。

 もちろん、どこかの小説サイトに投稿するわけでもなく、作家の勉強をしていない友人に見せるだけとかだったら、文章のマナーさえも気にする必要がない。

「小説を書くという事」と大上段に振りかぶった割には、一般的な注意事項みたいな内容になった。

 自分の人生にとって、小説とは?

 なぜ、小説を書くのか?

 頂いた感想への返事によく、「面白いというお言葉を頂くために書いています」、「面白いと言って頂くのが一番うれしいです」と書いている。それは実際その通りである。


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