右腕がかゆい。肩から十センチほど下の所だ。目の前を小さな虫が通り過ぎる。私は手を打ち鳴らした。もう十月も半ばを過ぎたというのに、なぜ蚊がいるのだ。再びいまいましい吸血鬼が視界をよぎる。もう一度、手を鳴らす。開くと、汚物と化した生命の残骸と、血の斑点がこびりついていた。
 箱からティッシュを抜き出し、きれいにふき取り、ゴミ箱に捨てる。
 私は椅子にすわり、読みかけの本を開いた。
 ――空中に意識が漂っている。私は目に力をこめて、そいつの姿をみつけようとした。それが不可能であることは分かりきっていたが。――
 ふふん。彼も「あれ」の存在に気づいた人間のうちの一人らしい。
 卓上の時計に目をやると、十二時を過ぎていた。もう寝なくては、と思い、立ち上がった私の足元を、小さめのゴキブリが通り過ぎた。慌てて周りを見たが、有効な武器はない。反射的に、足で踏み潰した。
 汚い! しかし、頭で考えるより先に体が動いてしまった。足を上げると、まだ子供であるらしい虫は醜くつぶれていた。大きなやつだったら、決してそんなことはしないのだが。
 残酷だ。子供だったら逆に、生かしてやるべきではないのか?
 考えても仕方がない。ティッシュでくるみ、捨てる。風呂場に行き、石鹸で入念に足を洗い、歯をみがき、寝室に入るとすぐさまベッドにもぐりこんだ。
 わずか五分ほどの間に二つの生命を奪った。虫などめったに出ないのに、どうしたことだろう。単なる偶然か? それとも、あれの仕業だろうか。
 今はけはいを感じない。しかし、やつは確実にそこにいるのだ。
 よく考えると、「やつ」という表現はおかしい。人間ではないし、動物でも植物でもない。「そこ」も間違いだ。タンスの陰にもいるし、明かりの付近にも浮遊している。いや、どこにもいないとも言える。そう考えると、「いる」も変だ。第一、「いる」のか「ある」のかさえ分からない。
 姿は見えない。
 物音もたてない。
 臭いもしない。
 ただ、けはいだけを感じる。
 また同じことを考えている。私の口から自嘲の笑いがこぼれた。
 まるでなぞなぞのようだ。さて、あれって、なーんだ。
 眠れなくなってしまうぞ、と自分に警告する。思考が無限ループにはまってしまう。
 幽霊ではない。それは確かだ。人間ではないのだ。
 しかし物の霊というのも、ある。柿はとらずにそのままにしておくと、たんころりんという妖怪になる。馬具のあぶみが化けたあぶみくちや、お金の霊であるかねだまといったものもいる。
 各地の祭りで、幼児に白粉で厚化粧をする風習がある。子供に神霊が憑依すると信じられてきたのだ。神が人に憑くヨリマシに対し、物に憑く場合をヨリシロという。巫女や神主が御幣をふるうのは、それに神霊が宿ると言い伝えられてきたからだ。
 だがあれは、そういったものとは違う。
 具体的な形として人間の五感に訴えない。妖怪は姿を現したり、音を出したりするだろう。ヨリシロの場合、そこにはっきりとした物がある。ただけはいだけを感じるのだ。
 背後に人がいるような気がして、振り向いてみると誰もいなかった、というのはよくある事かもしれない。その場合、視覚、聴覚、味覚、臭覚、触覚以外の感覚で感じとっている。
 しかしその類とも違う。対象がはっきりとしない。相手が人だと、分かってはいない。物や霊でもないような気がする。
 なぞなぞだったら、笑って済ませられる。しかし「あれ」は現実的な謎として、私に不安を与え続けている。
 私はこの事を、誰にも話す気がない。冗談だと思ってまともにとりあってもらえないか、肩を叩かれ、「できるだけ早く、専門医に診てもらった方がいい」と言われるだけだろう。
 だから日記がわりに、雑文としてノートに残すのみだ。
 もしもこの手記を読む人がいたとしたら、問いたい。
 さて、あれって、なーんだ。

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