私は、体中に巻かれたロープを、何とかしてほどこうともがいていた。芋虫のように無様に転がり、横向きになった風景をながめている。壁が白い、清潔な感じのする部屋で、南国の植物のような鉢植えが隅に置かれている。床には緑色の絨毯が敷かれ、社長でも座りそうな皮張りの椅子があるが、デスクはない。鉢のそばにノートパソコンが置かれている。
 窓があって、陽光がさし込んでいる。向こうにはただ青空だけが広がっている。きしんだ音が聞こえ、頭をのけぞらせると、ドアが開いて人が入ってくるのが見えた。茶の革靴が絨毯の上を進む。椅子の前で止まり、こちらを向いた。
 ダークグレーのスラックス、黒いアタッシュケース、上着、しかしさらに視線を上げていくと、異様なものが目に入った。彼の頭は黒い布で覆われていた。昔の魔術師が被るような、先がとがったやつで、目の所だけ穴が開いている。
 冷ややかに視線を向けたまま、彼はゆっくりと腰掛けた。
「どうだね、気分は」と、低く重い声が発せられた。
「お前は何者だ。私をどうする気だ」
 くぐもった笑い声が、布の向こうから聞こえた。
「天知雷太(あまち らいた)。君はパソコン通信の素人作家団というSIGで、小説を書いているね?」
「なぜそれを!」
 なんだこいつは。なぜ私のプライベートなことを知っているのだ。
「人類総おバカ化計画というのを、知っているだろう?」
「うっ」
 のどがつまった。それで私をこんな目に? それで私をこんな目に?
「君は入念に我々のことを調べ上げ、素人作家団に登録したね? どうやってあそこまで知ったのだ」
 人類総おバカ化委員会(仮名)は、大学教授や政治家、警察機構の重要人物といったメンバーからなるエリート集団だ。彼らの目的は人間をすべてアホにし、自分達が世界の中心になることだ。頭をからっぽにする薬を発明し、闇ルートで流している。私は彼らの存在とその悪行を小説にして暴露したのだ。
「今はインターネットの時代だ。何だって調べられるのだ」
「ふっ。君はそんなことをして、ただで済むと思っていたのかね。仕返しに君のことも調査させてもらった」男は愉快そうに言った。「天知雷太、筆名は海田良作(かいた りょうさく)。新人賞の応募回数は三回、そのうち一作が一次予選を通過している。受賞はなし。素人作家団では結構書いているようだな」
「そんなことまで。しかし、だからどうしたというのだ。ひょっとして、私をバカにするつもりか」
「ふふふ、勘もいいようだな」
 男はアタッシュケースを開いた。注射器と薬の瓶らしきものが並んでいる。私は背中を氷でなでられたような気がした。病院のにおいが鞄からあふれる。
「君が検索したホームページを、もう一度見てみるがいい。作者がみんなバカになって、ホームページは削除されているよ」
 彼は瓶の一つから薬液を注射器に吸い入れ始めた。
「これは新たに発明した作家つぶしという薬だ。君を実験台にしてやる」
「やめろ、やめてくれ」
 もがいても、縄が私に逃げることを許さない。手首に針がささった。液をすべて注入し終えると、彼は立ち上がった。
「さあ、効果を試すのだ」
 ノートパソコンを、コードを引きずりながら私の前に持ってくると、電源スイッチを押した。私の背後にまわり、縄をとき始めた。
「君はまだアマチュア作家のつもりか?」
「頭はしっかりしている。なんともないぞ」
 薬は私の体に何の影響も与えていないように思えた。
「では、『駄作』という題名で一つ書いてみろ。内容は、そうだな、今起こっていることでも書いてみるがいい。そして素人作家団に登録するのだ」男は私の肩をつかみ、身を起こさせた。「我々の名前は仮名にしろよ」


 そして今ここまで書いた。男は黙って見ていた。
「ふふふ、作家つぶしの効果が現れてきたようだな」
「何のことだ」
 黙って見ていた、と書いたら話しかけてきた。しかし私は彼が何を言いたいのか分からなかった。
「分からないか。まあ、いい。君の小説がだんだん駄作になっていく様を、素人作家団のメンバーに見てもらうのだ。いや、日本中の人間にな」
 今まではリアルタイムに打たなくて良かったから良かった。(男が話しかけてこなかったため)しかし今は、彼が話すたびにそれにあわせて猛烈な勢いで打たないといけないのでやりずらい。
「おお、急速に効き目が現れてきたぞ」
 と彼が言ったので言った通りに打つ。打っている間は待ってくれるようだ。
「ああ、待つよ」
 しかし私にはどこを指して駄作だと言っているのか分からない。私の文章のどこのことの話なのか。
「選考委員が読んだら、もう原稿を捨てられてしまうさ」
 そんなことはない。そんなことを言うことが間違っているのだ。
「君の文章はすでにだいぶ駄文になっている。自分で気づかないのかね」
 男は天知を見た。天知は不愉快そうな顔をしている。男はおかしくてたまらなかった。
「ほほう、私がおかしくてたまらないと、良く分かったね」
「あんたの目が笑っているからさ。どこが悪い」
 男は天知を愚かなやつだと思っていた。自分は神になり、この男はバカになるのだ。この作家つぶしで、すべてのライターをつぶしてやるのだ。本は誰も買わなくなり、新聞も読むに絶えないものとなるのだ。マスコミがダメージを受ければ、ますます世界征服の夢が近ずいてくるのだ。
「だいたいこんな心境か?」と、私。
「ふふん、まあ、当たらずとも遠からじだ。」と、男。
 私は不思議に思った。―この男は私の文章が駄文だと言う。すると、ひょっとして…
「…あんた…素人作家団の…会員じゃ………。」私はもそもそと言った。
「何を言い出すのかと思ったら!!!」男はドカン!!と言った。
「人の文章が駄文だと分かるのは…編集者ではないか?あるいは同じ作家仲間か。」と、私。
 きっ!となる男の目付き。
「…パソコン通信なら、自分の私生活を…秘密にしておける。あんたが例え…総理大臣でも、分からないさ。それに…同じSIGのメンバーなら、…私のことも多少分かるはずだ。」
 男はアタッシュケースの中を探り始めた。その間に天知は上六個の会話文を打ちこんだ。男が取り出したものを見て、天知はドッキリした。黒光りする黒い銃。男はせせら笑った。
「つまらないことを潜作するな。それとももっと強力なバカ薬で、再帰不能にしてほしいのか!!!」
 パソコン通信なら、自分が私生活においてどんな人物かをばらさなくて済む。だから例え男が総理大臣でも分からないのだ。それに、同じSIGのメンバーなら、私のことも多少分かるはずなのだ。
 しかし私は勇者が勇ましく悪に立ち向かうように、男のマスクを引き剥がすことはできません。より強い強力な薬を打たれたら、さすがの私も作家の書く文章を書けなくなってしまうかもしれない。今はまったく大丈夫だが。
 と打っている間に男が私の横に戻ってきた。銃を私の顔に向けている。


「人類総おバカ化委員会は―――人殺しまでやるのか!!!!!」私はドバン!!!と怒鳴って言った。
「場合によってはね。もちろん、決してばれないようにやるがね。」
 私はブルブルと振るえた。ということは今までにも殺されたのに闇に葬られた人物がいるということではないだろうか。


「ああ、そうだよ。」
「例えあんたの言うことが正しくて、私の文章が稚拙になったとしても、へたくそな文章でも告発することができるぞ!!!!殺人までやるなどと私に教えたのは失敗だったな!!!!」


「そんな事をしてみろ。もう一度捕まえて、強力なバカ薬で駄目人間にしてやる。なんなら殺したっていい。」
 私は恐ろしくて貯まらなくなくなった。いったいこんなゲームをいつまで続けなくてはいけないのだ。
「もう飽きたか。まあ、もうそろそろいいだろう。お前は作家としては駄目になった。作家つぶしが、小説家に必要な脳細胞だけを選択的に破壊したのだ我々の恐ろしさが日本の全国民に知れ渡るだろう。さあ、登録したまえ。」
「そんなことはない。薬は全然利いていない。登録してやるとも。」
 私は彼と私の会話を私は記録し登録する。逆に、彼らの薬がまったく利き目のないものだということが日本中に知れ渡るだろう。
「…遂行しなくていいのか。」
「ああ、遂行するとも。こいつを登録するんだろう?…ところで、結末はどうする?」
「くくく、遂行か。まあいい。…では最後に、まだ作家であると言い張るなら、お前が考えつく限りの最高の結末でしめくくってみろ!それは空想でかまわない。」
 と彼が言ったので、そうする。そしてすぐ素人作家団に登録することにする。私は知恵を絞る。今絞っています。あ、素晴らしい結末を考えついた。これは誰も考えつくまい。


 ジリリリリという音が聞こえ、私は目を覚ました。私は目覚まし時計のボタンを押した。頭をかきながら、つぶやく。
「夢だったのか。」

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