四月三日:美喜子の場合

 苺色と白のチェック柄のテーブルクロスの上に、一枚の白い大きめの皿が置かれている。皿の左右にはナイフと、フォーク。そして皿の上ではホットケーキが、その上に乗った四角いバターをとろかしながら、いい匂いをたてている。
「まあ、おいしそう」
 美喜子は椅子にこしかけた。白のレースのカーテンを通して、陽光がうらうらとダイニングを照らしている。
 美喜子は、蜂蜜の小瓶を手にとると、ホットケーキの上にたっぷりと注いだ。とろりとした蜜が、皿の上にまでゆっくりと広がっていく。
 美喜子は、フォークでホットケーキの表面を軽く押さえ、ナイフをゆっくりと刺し入れる。切っていくナイフに、粘り気を含んだスポンジ生地がからみつき、切れめに蜜がしみ込んでいく。
 フォークに刺さった、ケーキの断片を眺めながら、美喜子は舌先で上唇をなめる。
「うふふ。食べちゃうわよ、坊や」


  四月十七日:時雄の場合

 時雄は、木のテーブルの上に置かれた、二つの皿をみつめていた。
 ……どっちを、選ぶべきか。
 一つの皿には蜂蜜のたっぷりかかった、厚めの、ぽってりとしたホットケーキが乗っている。そしてもう一つの皿には、バターとジャムが塗られた、こぢんまりとしたホットケーキが乗っている。
 いつものように、レンジでチンして、どちらでも今すぐ食べられる状態だ。
 蜂蜜のかかった方は、味も濃厚で、スポンジの中にまでしみ通るほどかけられた蜂蜜と、とろけたバターの香りが混ざり合い、食べる者を魅惑するいい匂いを放つ。今まで知らなかったこ惑的な味の魅力に、すっかり心を奪われてしまった。
 バターとジャムの方は、質素で堅実な味がするが、こちらの方は今までずっと慣れ親しんだ味だ。
 随分と迷った挙げ句、蜂蜜の方の皿を手前にたぐり寄せた。
「ジャムは、もう飽きた」
 時雄はホットケーキにフォークを刺した。


  四月二十六日:ゆり子の場合

「ちくしょう、ちくしょう」
 ゆり子は、白い粉をばさばさと、透明なプラスチックのボウルに注ぎ込んだ。卵をガシャンと割り、その中に放り込む。さらに牛乳をだぼだぼと流し込む。
 泡立て器を乱暴に突っ込み、ガシャガシャと回す。もういいじゃないかと言いたくなるほど、執念深くかき回すと、その間に強火で十分に熱しておいた空のフライパンを、ぬれふきんの上に置いた。
 ジュウッという、嫌な音をたてる。
 弱火にしたコンロの上に、フライパンを戻し、どろどろしたボウルの中身を流しこむ。
 二分ほど待つと、プツプツと表面に泡が出始めた。
 ガシャリ、と、フライ返しをケーキとフライパンの間につっこみ、ひっくりかえす。さらに二分ほど待ち、ブスり、と竹串を突き刺す。竹串を引き抜いても、何もついてこない。
 フフフ、出来上がりだ。

 椅子にすわったゆり子の前に、ホットケーキが置かれている。バターナイフを握り、バターを、次にはジャムを、乱暴に塗りつける。
「許さない!」
 ざっくりと、ナイフを突き刺す。
「こうしてやる、こうしてやるわ」
 ホットケーキを切り裂く。サク、サク、サク……
 ゆり子の顔に、いやらしい笑いが浮かぶ。
「こうよ!」
 ガブリ、とケーキに噛みつく。くちゃくちゃと口を動かすたびに、ケーキは粉々になっていく。
 フォークを突きたて、ナイフで次の一片を切り取り、口に運ぶ。切っては食べ、切っては食べ……。
 すっかりたいらげてしまうと、不意に衝動的な笑いがこみ上げてきた。アッハッハッハッハッ!
「決心がついたわ」
 ぎゅーっと、ナイフを握りしめた。
 ゆり子は、ガタンという音をたて、立ち上がると、玄関のドアを開け、出ていった。


  四月二十七日:時雄の部屋にて

 時雄の机の上に、ラップをかけた一枚のホットケーキが乗っている。蜂蜜もジャムもついていない。珍しく、時雄が自分で作ったものである。
 カーテンを閉め切った、暗い部屋で、ホットケーキはさびしく佇んでいる。
 いつもならもうとっくに帰ってきているはずの時雄が、今日に限ってまだ帰ってこない。ホットケーキはまるで、こう言っているかのようだった。
「早く食べてくれないと、どんどんまずくなっちゃうよ」
 ホットケーキは、永久に帰らぬ主人を待ち続けるのだった。
 いつまでも、いつまでも。

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