「暑いね」アルフレッドは額の汗をぬぐい、帽子を脱いでそれをうちわ代わりにしてはたはたとあおいだ。乾燥した風がのどをひりひりさせ、ついつい水のペットボトルに手がのびる。帽子の下から現れた白髪が、汗でグッショリと濡れている。
「今ちょうど乾季ですのでね。ついこの間まで雨季で、そりゃあもう、ひどい降りようでしたよ」案内人のケジャブは陽気な男で、流暢な英語を使って、聞かれもしないことをよくしゃべる。
 暑い、とは言っても空には太陽がさんさんと照っているというわけではなく、どんよりと曇っている。
 二人は両側を丈高い草に囲まれた、細い道をのぼっていく。やがて道が水平になるに従って、草もまばらになり、ようやく視界が広がってきた。
「やあ、ようやく着きましたよ」
 ケジャブが指さす先に、巨大な岩が見えた。
 左から右に向かって非常に緩やかなスロープを描く大地の真ん中に、高さ四メートル、幅七メートルほどの岩がどっしりと構えている様子は、まるで一枚の絵画のようだ。
 岩の周りでは現地人の人足達が、周りの土をシャベルで掘り返したり、杭を打ったりしているのが見える。
「ジェリイさん!」
 ケジャブが大声で言って手を振ると、岩の手前で煙草を吸っている若い男が、煙草を土の上に捨て、アルフレッド達の方に向かって歩いてきた。
「よくいらっしゃいました、アルフレッド先生」
 その、がっしりとした体格の、大きな男が差し出した大きな手を、アルフレッドは握った。
「いやいや、先生なんて呼び方はやめて下さい。私はただの物好きですよ」
「でも石の研究の権威でいらっしゃるんでしょう?」
 アルフレッドは、考古学者にして地質学者、さらに物理学者にして数学者でもある。しかし彼の私的な興味は、W石Wに向いている。
「こちらはジャーナリストのジェリイさん」ケジャブは大男に手を向けた。「そしてこちらがイリノイ大学のアルフレッド教授です」
「私はあちこち旅して世界の不思議を集めてましてね。で、この石のうわさを聞きまして」ジェリイは背後の岩を振り返った。
 ジェリイを先頭にして石の方に歩いていくと、現地人達が怪訝そうな顔をしてアルフレッド達をちらちらとながめた。
「連中は外国人がこの石に近づくのを嫌がるんですよ。連中はこの石を神様みたいに思ってるんでね。私も彼らを説得するのに骨が折れましたよ」ジェリイは人足達を見て、言った。
「今彼らは何をしてるんです?」アルフレッドは白いあご髭をなぜた。
「ああ、柵を作ってるんですよ。この辺りを立ち入り禁止にして、本格的に調査しようと思いましてね」
「調査費は誰が持つんです?」
「ジェリイさんはイギリスのK財閥の御曹司でもいらっしゃるんですよ」
 ケジャブはまたしても聞かれもしないのに余計な事をしゃべった。
「アッハッハ。まあ、これは私一個人の趣味みたいなもんですよ」
「ほう、K財閥の……」
 アルフレッドは目の前の大きな石を見上げた。
「さわってもよろしいかな?」
「ええ、どうぞ」
 アルフレッドは岩の表面を見つめ、なで回した。
「花こう岩ですな。どうという事はない、普通の石ですよ。これが空から降ってきたと?」
「ええ、十年近く前のことです」
 ジェリイは手振りで人足のうちの一人を呼んだ。仏頂面のその男はだまって数枚の古びた紙をアルフレッドに渡した。
「これは、当時この近所の村に住んでいた、ええと、何て言ったかな……」
「ベルナルです」と、ケジャブ。
「そう、ベルナルという男が、偶然落ちてくるところを目撃していまして、その時描きとめた絵です」
 大地を表す一本の横線が引いてあり、その上に抽象化された二、三本の木があって、空中に丸が浮かんでいる。
「目撃して、それを絵にしたのが、あと四、五人いるんですが、残っているのはその三枚だけです」
 あとの二枚もだいたい似たような絵だ。
「そして、決定的なのが……」
 ジェリイはポケットをまさぐり、一枚の写真を取り出してアルフレッドに渡した。
「ほう!」アルフレッドは驚きの声をあげた。「こりゃ貴重ですな」
 そこには石が落ちてくる決定的瞬間が写されていた。
「やはり、隕石ではないとお考えで?」
「ええ、隕石じゃありません」アルフレッドは写真に目を落としたまま、金縁の眼鏡をずり上げた。
「不思議ですよね。こんな事は世界で初めてじゃないですかね。何もない空中から石が落ちてくるなんて」
「いやいや、そうでもないですよ」アルフレッドは遠くを見つめるような目つきをした。「古いところでは紀元前六世紀のローマに石の雨が降ったという記録が残っておる。一七六八年にはフランスの町リュスに巨石が落ちておるし、一九二二年にはカリフォルニア州のチコで、また南アフリカのヨハネスブルクでも、石の雨が降っておる。いずれも調査の結果、隕石であるという説は否定された……」
「へえ、そんなに」ジェリイは目を丸くした。
「何も降ってくるのは石ばかりとは限らんよ。蛙と魚が降ってきたり、カタツムリに、ヤドカリ、トカゲ、あるいはまるで空で大爆発でもあったかのように、バラバラになった大量のカモが降ってきたこともある。 
 沼や池の水が竜巻で空中に巻き上げられたものが落ちてきたんじゃないかという説もあるが、だとするとどうして蛙と魚だけが落ちてきたのか……謎のまんまです」


 舗装もされていない田舎道に沿って垣根があり、その垣根に数人の、小さい子供達がよじのぼっている。垣根の向こうは道路よりも一段低い土地になっていて、そこに一件の古びた家がある。家の、道路とは反対側の裏手には田んぼが広がっており、今は休閑期で、きれいなれんげ草が一面に広がっている。
 その家には一人の外国人が住んでいる。この頃の子供達は外人など見たことがなかったから、興味の的となっているのだ。
 その子供達の後ろを、泥だらけの農夫が荷車を引きながら通り過ぎた」
「坊や達、あんまし人ん家をのぞくもんじゃないぞ」
「べーっ」おかっぱ頭の男の子があかんべーをした。
 その時、軒先から、紺の羽織はかまを着た、異様に耳のとんがった白人が出てきて子供達を見上げた。
「コラーッ! マタ、ワルサ、スルノカッ!」男は、かたことの日本語で怒鳴った。
「わーっ! 悪魔だ、悪魔だ。逃げろーっ!」子供達は蜘蛛の子を散らすように駆け去った。


「現地人達はW空の裂け目から降ってきたWと言っています」とジェリイは言った。
「空の裂け目?」
「ええ、あれのことですよ」
 アルフレッドは空を見上げ、ジェリイが指さす一点を見つめた。
「ご覧の通りこの辺りの気候は変わっていて、曇りの日が多いんです。そしてあそこだけが、たびたび雲の切れめになっているんです」
 彼らの頭上、つまり石の真上に当たる部分に、まるでびっしりと雲に覆われた空にポッカリと穴があいているかのように、青空がのぞいている。
「ふうん、神秘的ですな。石自体はごく普通の代物なんだが」
 アルフレッドは手に持った布袋の中から、のみと木槌を取り出した。
「ちょっといいですかな?」
「えっ!?」
 ガチーン! と、いきなり石にのみを当てた。ジェリイやケジャブだけでなく、作業をしていた人足達がいっせいにアルフレッドの方を振り返った。「オーウ!」という声が、その中から上がった。
 地面に落ちた石片を拾い上げたアルフレッドに、ケジャブがささやきかける。
「困りますよ。あんまり彼らを刺激しないで下さい」
「虎穴に入らずんば何とやら。科学者にはW大胆さWも必要だよ」
 アルフレッドは眼鏡をはずし、ルーペを右目にあてがった。
「石英と、長石と、雲母……、やはりただの石ですな」


 子供達がまたしても垣根によじ登っている。その、狭い庭には、奇妙な黒い壺のようなものが置いてある。漆塗りの、真っ黒につやつやと輝くそれは、まん丸に近い形をしており、上部に小さい口が開いている。むろん何に使うものかは分からない。その変な物がまた、子供達の好奇心を刺激するのだ。
 子供達は壺に向かって石を投げつけ始めた。カチン、カチン、と音がするが、壺は相当頑丈なものであるらしく、なかなか割れない。その中の一つが、ひょいっと、壺の中に入った。
「コラーッ! ダメ、ダヨ! ダメ、ダヨ!」
 真っ赤な顔をして現れた男は、子供達に向かって握り拳を振り上げた」
「わーっ!」
 子供達が走り去ると、男はひざまづいて壺をなでた。
「ダイジナ、モノナノニ……」つぶやきながら、腕を壺の中に突っ込む」
「アア、モウ!」
 男の手に、石が触れた。
「マズイヨ、タブントテモヘンナコト、オコッテルヨ」
 男は底にある石をつかみ出し、ポイッと捨てた。一旦家の中に入り、再び出てきた男の手には、ガムテープとはさみが握られていた。
「ニドト、コンナコトガナイヨウニ、シバラク、フサイデオコウ」
 男は、バッテンを描くように、壺の口をふさいでしまった。


「先生、起きて下さい。起きて下さい」
 翌朝、テントの中で、アルフレッドはケジャブに揺り起こされた。
「どうした?」
「た、大変なんです。すぐに来て下さい」
 テントから飛びだし、石のある所に来たアルフレッドは、唖然とした。ジェリイや人足達もまた、呆然とそこに突っ立っていた。
「アルフレッドさん」ジェリイがアルフレッドの方に顔を向けた。「石は……、石はどこに行ったんです!」
 その時である。突然、一同は異様な気配を感じ、空を見上げた。雲が恐ろしい勢いで動いていた。そして、ポッカリと一部だけ晴れていた部分を、あっという間に埋めてしまった。
 空が急に薄暗くなったように感じた。
 そして、あたりの風景が、その暗さをだんだんと増していくのだった。
 ゆっくりと、ゆっくりと……。

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