明彦にとって、由香は初恋の女性だった。つきあい始めて二年、ようやく彼女とベッドを共にするところまでこぎつけたのであった。
「明彦」
 彼女が眼を閉じ、唇を突き出してくる。
 彼はギョッとした。なぜなら彼女の眼が、彼をギロリとにらみつけたから。
 彼女の両目は閉じられている。しかし、額に現れた第三の眼が、明彦をじっとにらんでいるのだった。
「うわあーっ!」
 明彦はベッドから転げ落ちた。
「どうしたの?」
 由香は不服そうに目を開け、そして床の上で後ずさりしている彼を見た。
「なーに? ははあ、さては明彦君、童貞君だな?」
 由香はついと立ち上がり、彼の方に歩み寄ってくる。
「大丈夫よ。私がリードしてあげるから」
「来るな! 近寄るな! あっち行け!」
 由香は信じられないというような顔をした。相変わらず額の眼をぎらつかせながら。
 明彦はジーパンを足にもつれされながらもなんとかはき、上着をひっ掴むと大慌てでホテルの部屋から飛びだした。

 あれから一週間、由香からの電話はなく、また彼の方から電話をする勇気もなかった。あの時はどうかしていたのだ。由香の額にもう一つ眼があるなんて。そんなことあるわけないじゃないか。


「明彦、抱いて」
 明彦は由香を抱きしめた。年上の彼女は、とても魅力的な大人の女性に見えた。
 突然額の目玉が、クワッと開いた。
「お前のような奴は、ブラックホールに転送してやる!」
「わあっ!」
 明彦はガバッととび起きた。
「はあ、はあ、なんだ、夢か」
 彼は布団の横にある時計をつかんだ。
「くそっ、また遅刻だ」
 鳴らなかった目覚まし時計に腹をたてながら、明彦はバイト先のコンビニへと急いだ。
 ドン!
 彼は道を歩いている女性とぶつかった。
「いったーい」
「だ、大丈夫ですか」
 明彦は、黒いドレスに身を包んだ、妙にけばけばしい水商売ふうのその女性を助けおこした。
「な、何よ」
 明彦は目をまん丸に見開いて女の顔を見つめていた。その額には、明彦をせせら笑うように三番めの眼が開いていたのだ。
「あはは、さあ、どうする、どうする」
 その眼は明彦の脳に直接語りかけた。
「き、貴様ー」
 明彦は女の首を締め上げた。
「ううっ、やめろ、何をするんだ」
「正体をばらせっ、お前ら一体何者だっ!」
「やめてくれ……その女の首を締めると、私に酸素が回ってこない……」
「さあ、言え!」
「我々はアルファケンタウリから来た……ぐはあっ!」
 気がつくと、明彦の目の前には額の眼が消え、もがき苦しんでいる女の姿があった。
「おいっ! どうした!」
「何やってるんだ! お前!」
 周りの人々が、明彦に飛びついた。


「ははは、それでお前、もう少しで警察にしょっぴかれるところだったのか」
「笑いごとじゃないよ」
 居酒屋で、明彦は友人の板垣と飲んでいた。明彦の顔は人々に殴られてボコボコになっていた。
「お前はたぶん、女性恐怖症なんだよ」
「そんなんじゃないよ」
「じゃあな、村上、ちょっと聞くがお前母親にどんな育てられ方をした」
 ほうら、始まった、と思いつつも明彦は答えた。
「そうだな。大事に育てられたな。甘やかされて育った……というよりも……」
「というよりも、何だ」
「むしろ姉にかわいがられた。お前にはまだ打ち明けてなかったな。俺は中学一年まで姉と一緒に風呂に入ってた」
「それだよ! お前には性的なコンプレックスがあるんだ。女性はお前を甘やかして、ちっちゃい子供のように扱ってくれる、そういうもんだと潜在意識に植えつけられたんだ。だが現実はそうではなかった。お前が見る眼というのは、たぶん母親か、お姉さんの眼で……」
 明彦はムッとした。
「ああ、はい、はい。お前が脳みそオタクだってことはよく知ってるが、何でも分かったようなことを言うのはやめてくれ」
「でも幻覚を見るってことは、相当重大なことだぜ。お前、酒を飲み過ぎたり、あるいはずっと寝てなかったり、何も食ってなかったり……覚醒剤をうったり……そういうことに心当たりはないか?」
「ないよ。あれは幻覚なんかじゃ……」
「ふーむ、だとすると精神分裂症の可能性もあるな」
「よしてくれ。俺がそんなふうに見えるか」
「いや、ドーパミンの過剰放出があれば、分裂症の症状を示すんだ」
「俺は正常だよ!」
「自分は正常か、異常か、そんなことをどうやって判断する。お前は女の額に目玉を見た。それは正常か?」
 明彦はいきなり立ち上がった。
「お、おい、どうした、村上」
 明彦はつかつかと隣りのテーブルに歩いていった。
「俺の顔を見るなあ!」
「きゃあ、何すんのよ」
 明彦は、その女子大生ふうのポニーテールのかわいらしい女の子の手首をいきなりつかんだ。しかしその額の目玉が、ニタニタ笑うような目つきで明彦を見ているのだった。
「あはは、君が見ているのは幻だよ。君の友人もそう言ってるではないか。君は女性が怖いんだよ。それを認めろ」
 明彦は女の子に向かって言った。
「君の体は宇宙人に寄生されてるんだ。早く何とかしないと」
「村上! やめろ! すみません、こいつどうかしてるんです」
「板垣、見てみろ! これが幻か! ほら、そこにも、あそこにも」
 気がつくと、店内の女性の大半の額に第三の眼が開いているのだった。
「君達はアルファケンタウリ星人にのっとられているんだ! 今すぐ自分の首を締めるんだ!」


 目が覚めると、明彦は病院のベッドの上にいた。居酒屋で大暴れして……それからどうなったのだ?
「大丈夫ですよ、村上さん。ちょっとお休みして、すぐ退院できますからね」
 若い看護婦は明彦に微笑んだ。
「ここは……」
 精神病院なのか? と、明彦は思った。
 看護婦の額には目玉はない。しかし、その姿が二重にぼやけて見えるのだった。
 ……ああ、俺は、俺はいったい、どうしてしまったのだ。正常か、狂気か。そんな板垣の言葉が思い出された。
 自分の手を見ると、それは水の中にひたしているかのように、ゆらゆらと揺れて見えるのだった。
 なんということだろう。俺はやはり、頭がどうかしてしまったのだろうか。
 ふと顔を上げると、看護婦も、病室の風景も、溶けるように揺れていくのだった。その時、看護婦の額に第三の眼が現れた。
「君のように我々の存在に気づいてしまう人間が、時々いる。どうして我々の姿が見えるのか……。とにかくそのような人間は、我々にとっては非常にまずいのだ。気の毒だが、白鳥座X1番星に転送させてもらうよ」

 周りの風景がさらにどろどろに溶けていき、ぐるぐると渦を巻き始めた。

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