「いやあ、蒸しますなあ」新城氏は扇子をはたはたと扇いだ。新城氏の前には羽織袴姿の、白髭をたくわえた老人があぐらを組んでいる。
「外は暑かったでしょう。おーい、信子、お客さんに冷たいお茶を」
 その老人−大滝氏が声をかけると、しばらく間があって、障子がすーっと開き、見目麗しい婦人が盆に汗をかいたコップを載せて、しずしずと入ってきた。切れ長の眼、薄く紅をひいた唇。大滝氏とは随分と歳が離れている。
「どうぞ」婦人が麦茶を卓の上に置こうとすると、「ちょっとお待ち」と言って大滝氏が立ちあがった。十畳ほどの座敷の隅に置いてある箱から人形を取り出し、戻って来ると、それを卓の上に置いた。
 婦人がクスリと笑い、その人形が手にしている小さな盆の上にコップを載せる。人形はからからという音を立てながら卓上を進んできた。新城氏がコップを取り上げると、ぴたりと止まった。ごくり、ごくりと一気に飲み干し、コップを戻すと、くるりと反転して大滝氏の方へ戻っていく。
「いやはや、見事なものですなあ」新城氏はためいきをついた。
 婦人は軽く頭を下げると、障子を開け、出て行った。
「茶運(ちゃくみ)人形です。まあ、ご存知でしょうが……」
「ええ、ええ」新城氏は、その人形に見入った。「まさか、江戸時代のもので?」
 ハッ、ハッ、ハッと、大滝氏は豪快な笑い声をたてた。「そうだといいんですがな。残念ながら、昭和初期のものですよ」
「ゼンマイは? 鯨の髭ですか」
「それも残念ですが、真鍮製のものです」
「いやそれにしても……」新城氏は再び同じ言葉をつぶやいた。「見事なものですなあ」
「先生のからくりのご研究は、もう長いんですか?」大滝氏は懐から煙草の箱を取り出し、一本つまみ出した。
「いえいえ、研究というほどのものでは……」すかさず新城氏は胸ポケットから百円ライターを抜き出し、火をつける。「からくり人形の方は、まだ1年にもなりません」
 大滝氏の顔は、わざわざ大学教授が自分のコレクションを見にやって来たことに対して、非常に満足しているといったような笑みで満たされている。
「すると、他にも研究しているものがお有りかな?」
「ええ、ブリキのおもちゃですとか……、要するに、昔の玩具です。研究でやっているというよりは、個人的な趣味です」
 大滝氏はふーっと紫煙を吹いた。「私は、からくり人形ほど深い味わいがある玩具は、ないと思いますな。竹馬や手毬のように、それを使って遊べるわけでもない。第一、子供のおもちゃにするには高価すぎる」
「からくり人形が生まれた江戸時代には、相当貴重なものだったはずです。子供にはさわらせもしなかったでしょうね」
「当時の職人の、最高技術を楽しむわけです。むしろ絵画鑑賞に近い。“遊ぶ”ための玩具ではなく、“愛でる”ための玩具ですな」

       *       *       *

 御所人形、鼓笛童子、品玉人形に三番叟……。大滝氏のコレクションは、見事なものばかりである。新城氏が人形達に見ほれていると、ふいに大滝氏がぽつりとつぶやいた。
「……人間というのもまた、からくり人形のようなものかもしれませんなあ」
「はい?」
「いやいや、失礼。私は最近よく、そんな事を考えるんですよ。歳をとったせいかもしれない」
 新城氏は大滝氏の顔をみつめた。老人の額には幾筋もの深い皺が刻まれている。
「からくり人形は、人間が生み出した自動玩具だ。今の時代から見れば仕組みは単純で、それこそおもちゃですが、人間というのも仕組みが恐ろしく複雑なだけで、ひょっとするとその仕組みに従って、自動で動いているだけなのかもしれない。つまり……」大滝氏は煙を吸い、ふーっと吹き出した。「人間は神様が作った、からくり人形なのかもしれませんなあ」
 その時突然、「クスクス」という笑い声が、どこからともなく起こった。部屋の中には、大滝氏と新城氏しかいない。実に奇妙なことなのに、二人ともまるで聞こえていないかのようだった。
 新城氏はうんうんとうなずいた。「分かります。私もそんな事を考えることがありますよ。人間というのは、“物”なのか、それとも単なる物質とは次元を異にしたものなのか。人間を、たんぱく質だの、鉄分だのといった物質の集まりから隔て、人間たらしめているものは、“心”でしょう。しかしそれとて、一つ一つの脳細胞の複雑な働きによって現れる“現象”に過ぎないのかもしれない……」
「最近のロボットなどはどうです。実に精巧にできているじゃありませんか。まるで本当に感情を持っているかのようだ。あれなんかを見ると、心もまた作り物なのではないかと思えてきますな」
「あれは人間の感情を忠実にシミュレートしただけのものですよ。馬鹿と言われたら怒るとか、偉いと言われたら喜ぶとか、そういった反応のパターンを膨大な数持っているというだけのものです。本当に怒っているわけでも、喜んでいるわけでもありません。まがい物ですよ」
 その時再び、クスクスという忍び笑いが起こった。今度は一人ではなく、複数人の笑い声だ。
 大滝氏は短くなった煙草を、灰皿にこすりつけた。「しかしねえ。人間がロボットを見るのと、神様が人間を見るのと、同じことかもしれませんよ」
 しずしずと廊下を踏む足音が聞こえ、障子が開くと、婦人が入ってきた。お盆の上にはお茶のお代わりと豆菓子が載っていた……

       *       *       *

 ロボット博覧会会場は、今日も多くの見物客で賑わっている。そこには大昔のからくり人形から、最新技術を駆使したロボットに至るまで、数多くのロボットが展示されていた。
 その中でも特に子供達に人気が高いのが、からくり人形を挟んで話し合う、二体のロボットである。特にロボット達が人間について話し合うシーンになると、それが滑稽に映り、子供達の笑いを誘うのだ。彼らが真剣に話し合えばあうほど、余計に滑稽に見えるのだ。
 ロボットの演技が終わると、スピーカーから説明が流れた。
「この、『からくり人形を愛でるからくり人形』は2100年に製作されたものです。代々からくりを作り続けている、11代目竹屋平兵衛氏の手によるもので、当時の最新のロボット技術を使って作られたものです……」
 人形達は再び、初めから演技を繰り返すのだった。
「いやあ、蒸しますなあ……」

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