−−仮想現実(バーチャルリアリティ)。特殊なゴーグルで見る立体映像は実にリアルで、さらにデータグローブで映像の中の物体を「つかむ」ことさえできる。しかし現在の技術はまだまだ初期段階のもので、「現実との区別がつかない」ほどになるのはずいぶんと先の話になるようである。


「ガチャン」という音とともに部屋に明かりがともる。
「ううっ……」
 俺は頭をふり、目をこじあけた。どうやら俺は床の上に仰向けにねっころがっているようだ。ずきずきと痛む頭をおさえながら、上体を起こす。
 ふと横を見ると同じようにねっころがっている人間が二人いた。しかし彼らの恰好が奇妙だ。海に潜る時に着るウェットスーツに似ているが、ちょっと違う。黒と灰色の二色で構成されているそれは、子供向けのヒーローものに出てくる宇宙警備隊員を連想させた。さらに頭につけているコードレスのヘッドフォンが、より違和感を増している。自分の体を見ると、やはり同じ恰好をしているのだった。
 その二人もまた、頭を痛そうにおさえながら身を起こした。俺は、冷たく固いコンクリートの床から立ち上がり、周りを見回した。ここはいったいどこだ?
 だだっ広い円形の部屋。さらに部屋全体が半球形になっていて、ダークグレーの色調で統一されている。部屋の真ん中にゴッテリとした機械が三台並んでいるのが見える。それは丸いトランポリンのように見えた。それぞれのトランポリンの周りを囲んで、ボーリングのボールのような、黒々として鈍く光る球と、L字型の銀色の鋼が交互にぎっちりと並んでいる。そのトランポリンとボーリングの球の塊が円形の台の上に載っている。その見慣れない物体が仲良く三つ並んでおり、さらに一つ一つの台からうねうねと大量のコードが出ており、それがその後ろのスーパーコンピュータらしきでっかい箱につながっている。箱の横にはモニターがでんと構え、次から次へと文字を表示してはスクロールさせている。
 俺の隣に立っている、大柄の、がっしりとした体格の、髭もじゃの男が周りをキョトキョト見回した後俺に話しかけてきた。
「ここは一体どこだ? あんた誰だ?」
 二番めの質問には答えることができそうだったが、気が動転していてまだ自己紹介をする気にもなれない。
「さあ。よく分からんが、俺たちゃお仲間らしいぜ」俺はあいまいに答えた。
 その時、突然ヘッドフォンから声が響いた。
「お目覚めかね、諸君」
 思わず周りを見渡すが、誰もいない。
「君達がここへ来た理由が、分かるかね?これから君達の処刑が行われるのだ」
「ふざけるなっ!」
 いきなり、髭もじゃの男とは対照的に、やせ細って見るからに神経質そうな男が叫んだ。
「お忘れかね。君達は昨日死刑を宣告された。それが今日、とり行われるのだ。アレックス君」
 いきなり名前を呼ばれたので、俺はビクッとした。
「アメリカ合衆国国家安全保障局特別顧問、アレックス・ガードナー。君はスパイとして我が国に潜入し、最新技術に関する秘密文書を盗み出そうとした。これは死に値する行為である」
 その最新技術というのは潜水艦に積まれた核ミサイルのことだ。やつらの攻撃目標はアメリカ、日本、及びロシアである。
「そして、イリア区ポンピドー教会の牧師、シュルツ・ボイドマン」
 髭もじゃの大男がハッと顔を上げた。
「君は牧師の身でありながら民衆をたぶらかし、ありもしない考えを流布し、民衆を動揺させた。これは死に値する行為である」
「お前達がシステムを使って、やろうとしていることをみんなに教えてやっただけさ!」大男は虎のように吼えた。「民間人の洗脳をな!」
「最後に、このアルカーム研究所の主任研究員、カイン・マクベル。仮想現実システムの開発に対する君の協力には感謝しているが、その試行段階において君は重大なミスを犯した。そのおかげで、なんの罪もない二百人もの国民が、再起不能の状態に陥った。これは死に値する行為である」
「それはお前の責任だろうがっ!」やせぎすの男は叫んだ。
 かわいそうに。どうやらこの男は全ての罪をひっかぶせられたらしい。
「申し遅れたが、私の名はマロー。アルカーム研究所の所長だ。君達は研究所の最新の成果である仮想現実システムの試作機4号の中にいるのだ」
 俺は再び部屋の真ん中の機械を見た。洗脳……、再起不能……、俺はその機械がどんなに恐ろしいものであるかが、うすうす分かってきた。
「カイン君、君もこれを見るのは初めてだろう。表向きには三号機が最新ということになっている。でもあれは娯楽用のおもちゃだ。この四号機も娯楽用には違いないが、徹底的にリアリティにこだわっている点が異なる。研究所が目指している究極は、現実との区別がつかない仮想現実だ。
 その実験台として、君達が選ばれたのだ。政府は私に快く協力してくれた。死刑囚の中から三人、私に提供してくれたのだ。
 君達はこれからゲームをする。ロールプレイングゲームだ。ゲームの中で死ぬと、本当に死んでしまうから注意したまえ。ゲームを最後までクリアすることができた者だけが、晴れて釈放となる。つまり、君達にはチャンスが与えられているわけだ」
 シュッという音がして、ドアが開いた。白衣を着たいかつい男達が入ってきて、俺達の方へ歩み寄ってくると、俺達を両脇からがっちりとつかまえた。
「さあ、システムの上に乗りたまえ」
 ヘッドフォンから聞こえる声……マローとかいったか……がそう言うと、白衣の連中は俺達を真ん中の機械まで連行した。抵抗むなしく、俺達はそのトランポリンの上に乗せられた。乗ってみると、それはトランポリンのようにはフニャフニャしていなかった。
「いくらコンピュータグラフィックスが精巧になったとしても、どうしても現実の風景とは思えない、WコンピュータグラフィックスらしさWが残ってしまう。実写を取り込んで組み合わせても同じだ。音響の方は現実との区別がつかないようにするのは簡単なのにね。そこで我々は別のアプローチを試みることにした。なに、脳に電極をブスリと刺しこんで、電気刺激で自由自在に幻覚を見せようというのではない。ただちょっと、薬の力を借りるだけさ」
「やめろおっ!」俺はもがいたが、白衣の男達から逃れることはできなかった。
 ブスッと、スーツの上から俺の腕に注射が刺しこまれる。
「心配はない。ごく少量のLSDだ。現実の認識能力を低下させる作用を持っている。これによって、コンピュータグラフィックスの映像を、現実の風景として違和感なく受け入れることが可能となるのだ」
 マローは無責任なことを言う。
 白衣の男達は、俺達に変な形の眼鏡をかけさせた。しかし見える風景は普通のままである。グオーンという音をたてて、突然床から分厚いガラスの円筒が三本せり上がってきた。男達は俺達の腕を乱暴に突き放すと、慌てて立ち去った。円筒はどんどんせり上がっていき、完全に俺達を閉じ込めてしまった。
「私からの説明は以上としよう。邪魔になるだけだからな。君達はこれからゲームの世界に文字通りW入り込むWのだ」
 突然視界が真っ暗になり、次にサイケデリックな画面が映し出された。どうやら眼鏡の内側が、液晶か何かのディスプレイになっているらしい。赤と黄色の縞模様が、うねうねとうねりながら画面の奥から流れてくる。恐ろしいほどの立体感だ。
 画面の奥の方から文字がぐるぐる回転しながら迫ってきて、目の前で止まった。
 WSuper NovaW……超新星。それがこのゲームのタイトルらしい。
「スーパーノバの世界へようこそ」音声合成らしい、エコーのかかった涼しい女性の声がヘッドフォンから響いた。
「あなた達勇者はこれから惑星アルカシアへ向かいます」といきなり言われても何のことやら分からない。
「まずプレイヤーを選択して下さい」
 いきなり目の前にローブを来たじいさんが現れた。その足元には「魔術士」の文字が、さらにその下には「決定」の文字が浮かんでいる。
 凍りついたように動かないじいさんの頭の上で、右向きの矢印と左向きの矢印がちかちかと点滅した。
 俺は恐る恐るじいさんの肩にふれた。それは意外にも金属的な質感だった。ぐいと横にどかすと、かわりに剣を持ち、首から下が鎧に覆われた男が現れた。その下には「剣士」の文字が。俺は「決定」の文字を押した。こうなったらやるしかない。
 シュルツは魔術士を、カインは狩人を選んだ。
「ではゲームスタートです。準備して下さい」
 画面が突然星々が浮かぶ宇宙に変わり、その星々が勢いよく前から後ろに流れ始めた。あまりのリアル感に本当にその世界に落ちていくような感じがし、思わず「ウワアーッ!」と叫んだ。


 目の前に赤い星が迫ってきた。
「あれが目指す星、アルカシアです」女性の、まるで教育番組のナレーションのような声が言う。「着陸します。衝撃に備えて下さい」
 突然目の前が濃い霧で覆われ、地震でも起きたかのように体が揺れだした。ああ、きっと足元のトランポリンみたいなやつが振動しているんだなと、俺は思った。この時まだ俺には、この世界が作り物で、実際にはガラスのチューブの中にいるのだと認識する思考能力があったのだ。
 急速に霧が晴れると、荒涼とした景色が広がった。どうやら「惑星アルカシア」に到着したというわけだ。赤茶けた大地。まばらに立っている枯れ木。向こうには肌の赤黒いごつごつした山がそびえたっている。
「アルカシアに到着しました。ではゲームの説明をしましょう」と女性の声。
「あなた達は最初何をしていいか分かりません」
 まったくだ。
「ゲームの目的はあなた達自身で見つけるのです。そして最終目的をクリアすればゲームエンドとなります。上を見上げて下さい」
 俺達は言われた通り素直によく晴れた空を見上げた。チューブの外から俺達を見たら、さぞかしアホウな姿に見えるだろう。
 首を上に上げると、それに応じて画面がスクロールする。
 空に赤いバーが三つ横に並んで浮かんでいるのが見えた。さらにその下に青いバーが同じように並んでいる。それぞれの上に「アレックス」、「シュルツ」、「カイン」の名前が冠せられている。
「赤いメーターがヒットポイント、つまり残りの体力を表しています。青いメーターはマジックポイントで、術を使う度に減っていきます。ヒットポイントが0になるとそのプレイヤーは死にます。死ぬと、現実のあなた達の心臓にも電流が流れて死にます」
「冗談じゃないぜ!」シュルツが吼えた。
「剣士と狩人も魔術が使えますが、そのためには呪文を覚えなければなりません。魔術士は最初からWフレアーWという魔術を使うことができます。使用する際は敵に向かってWフレアーWと叫んで下さい。そのかわり、魔術士は剣士や狩人に比べてヒットポイントが少ないというハンディキャップがあります」
 女性の声は事務的で、俺達の動揺とは無関係にどんどん説明を進めていく。
「それではまず最初の目的を探し出して下さい。制限時間は三時間です」
「おいおい、制限時間があるのかよ!」俺はおもわず宙に向かって叫んだ。
「さあ、偉大なる冒険の始まりです。健闘を祈ります」
 声はそれきり途絶えてしまった。
「これじゃ本当に何をしていいか分からんぞ。おい、答えろ!」
「無駄です」仮想現実の研究者であるらしいカインという若い男が答えた。
「研究者達は仮想現実そのものに興味があるのです。ゲームにはあまり興味がありません。だからそうした連中が作るゲームは、Wユーザーへの親切さWが欠けています。対象としてゲームを選んだのは、単にそれが一般大衆に受け入れられやすいからにすぎません。医療や産業への応用は、それがW遊びWではないせいか、この分野ではあまり進展していないのです」
 俺は、ひざまづいて土をなでているカインに近づいていった。
「おお、素晴らしい……」カインは土をつかみ、その、割りと細かい質の赤土を指の間からさらさらとこぼした。
「土がどうした」
「仮想現実の世界では、物をつかんだとしても本当に何かをつかんでいるわけではありません。単にデータグローブが……つまり手袋のことですが……それに対応した反発力を指に与えているだけにすぎません。システム3では単にそれだけのものでした。ところがこのシステム4では土の感触まで再現しています」
 システム4? ああ、試作機四号のことか。
 カインの側まで来て、初めて俺は変なことに気がついた。
「俺達は別々にガラスのチューブに閉じ込められているはずなのに、どうしてこんなに近寄ることができるんだ? なあ、先生」
「あなたが見ている私も、そしてシュルツも、全てコンピュータが作りだした立体映像なのです」
「これが映像!?」俺は、カインの顔を、そして狩人の服を着た体を、じろじろとながめ回した。
「我々が着ているデータスーツが、我々の動きをとらえ、データに変換し、それに応じた映像を作りだしているのです。握手してみましょうか?」
 俺は自分の手をまじまじと見つめた。するとこれもコンピュータグラフィックだというわけか。カインが差し出したW映像のW手を、俺は握った。
「おお、素晴らしい。データグローブをはめているにもかかわらず、あなたの手のやわらかい感触を感じる。あなたの体温を感じる。あなたの手のひらにうすく浮かんだ汗さえ感じる」カインの表現はなんだかいやらしい。
「そんなことをしている間にも時間がたっちまう。さあ、早く行こうぜ」
 とシュルツが言った。
 俺は、当惑して答えた。
「と言っても、一体どこへ行けばいいんだ?」
「とにかくその辺歩き回ってみようぜ」
 マローに対する態度とはうって変わって丁寧な言葉使いのカインに比べて、この男はとても牧師には見えない。むしろカインの方が牧師に近い。


 俺達は荒涼とした赤い大地を歩き回っていた。時間の経過は、シュルツがアイテムとして持っていた懐中時計で知ることができた。
「私達はこうして歩き回っているようにみえても実はずっとシートの上にいます」カインの講釈はまだ続いている。「シートは私達の歩く速度に合わせてその反対方向にベルトコンベアのように流れています。向きを変えるとシートの流れる向きも変わります。三百六十度自由自在に流れることができるのです」
「ジャンプするとどうなる? ひょっとしてシートの外に出られるんじゃないか?」当然起こる疑問を、俺は口に出した。
「やってみては?」
 俺はひょいっとジャンプした。ベシャン!と何もない空間にぶつかるということもなく、俺は無事に着地した。
「相対運動を考えて下さい。例えば動いている電車の中で、電車と同じ速さで、電車の進行方向とは反対向きに走っていってジャンプしたら、電車の外から見た人にはどう見えるでしょうか?」
「……真上に飛び上がったようにみえるな」シートの上からは絶対に出られないという考えが、俺の不安を強くした。
 その時である。
「ウアルル」という変な叫び声をあげながら、焦げ茶色の毛皮を着た、醜怪な顔つきの、額から角を生やした人間達が剣を振り上げながら走ってきた。
「敵だっ!」カインが叫んだ。
 敵は二匹。こちらは三人。だがシュルツとカインは突然のことに動揺して硬直していた。敵の剣が俺の目の前に迫ってくる。
「うわああっ!」俺は剣を振り上げ、切りかかっていった。
「いひやあっ!」情けない声を上げ、ようやくカインも腰の短剣を抜いた。
 俺の剣は敵に簡単になぎはらわれてしまう。怪物はどう見ても本当にそこにいる本物に見えた。
「あうぐっ!」敵は俺の肩に切りつけた。なんてことだ。肩に電気ショックが流れやがった。振りおろされる剣を、俺はなんとか自分の剣で受け止めた。しかし敵の力の方が圧倒的に強い。
「シュルツ、なんとかしてくれ!」
「フ、フレアー!」シュルツは馬鹿みたいに叫んだ。全く馬鹿みたいだった。
「ウグアオッ!」目の前の怪物が突然燃え上がった。そいつは異常にリアルに炎に焼けこがされながら地面を転がり回った。
 だが間を置かず、もう一匹が俺に向かってきた。
「ギヤアアッ!」カインの弓矢が怪物を背中から射抜いた。ぱあっと血が飛散した。

「はあっ、はあっ、はあっ」真っ黒こげになった怪物と、血でどろどろになった怪物を見下ろしているうちに、俺の中に真っ黒な怒りが噴きあがってきた。馬鹿げている。全く馬鹿げている!
「ちくしょう! こんなもの!」俺は眼鏡を引きむしろうとした。「うああっ!」途端に指に電気が走った。くそう! この仮想現実空間からは、どうあがいても逃げられないのか。
「神よ、どうかこの者達に安らぎと……」
 ふと見ると、シュルツが怪物に祈りを捧げていた。
「いちおう、こう見えても牧師なんでな」シュルツはニッと笑った。
「そんなもんほっとけ!」吐き捨てるように言うと、俺はすたすたと歩き始めた。


 二時間と十五分が経過。相変わらず、W最初の目的Wなるものは現れない。最初の敵を倒した後、俺達は周りが草に覆われた一本道をみつけた。ゲームの中で道をみつけたということは、その先に何かあるはずである。しかしこうしてずっと道をたどってきても、何も見つけることができなかった。道は延々と続いているばかりである。その間に十二回ほど敵と遭遇した。慣れないうちはだいぶダメージを受けたが、そのうちにダメージを受けずに敵を倒せるようになった。電気ショックへの拒否反応が、俺達の体に真剣に戦うことを要求した。体力も、シュルツのマジックポイントもだいぶ減っていた。俺はそれほどゲームは好きではないが、こういうゲームの場合、W休憩所Wで体力やマジックポイントを回復できることぐらいは知っている。この惑星は自転のスピードが早いのか、もう日が暮れようとしていた。もうそろそろ何か現れてくれないと困るのだが……。
「おおっ! あれを見ろっ!」
 シュルツが、砂漠の中でオアシスを見つけたかのような声を上げた。道の向こうに小さな木の家が見える。有り難い。山小屋だ。俺達は喜んで駆け出した。
 日は、秒単位で暮れていった。山小屋にたどり着いた時にはすでに日がとっぷりと暮れており、夜気がWひんやりとW感じられた。丸太を組み合わせて作られたそれはログハウスのようで、中に入ると新鮮な木のW匂いWさえした。
「休憩所だな」と、俺はカインに向かって言った。「ここでヒットポイントとマジックポイントを回復するんだろ?」
「もちろんそれもあるでしょうが、もうそろそろ何かイベントが起きても良さそうですね。シュルツ、時間は?」
「三時十四分」シュルツは懐中時計を俺達に差し出して言った。「地球じゃまだ昼間だな」
「ゲームスタートから約二時間半ですか。……まずいですね。何かイベントを起こすアイテムが落ちてるんじゃないですか?」
 俺達はうろうろと周りを見回した。何かしなければいけないのだろうが、特に変わったものがあるわけでもない。
「俺、ちょっと裏手の方に回ってみるわ」外に出ていったシュルツが、やがて大声を上げた。「おい! ちょっと来てみろ!」
 小屋の裏は林になっていた。シュルツの足元ではたき火がパチパチと燃えていた。そして、小屋の片隅に薪が積んであるのだった。これで暖をとれということか?
 たき火を囲んですわりこんだ俺達の間に、しばしの沈黙が訪れた。とにかく疲れた。三時間たつと全員電気ショックで殺されてしまうかもしれないのに、まるで動く気がしなかった。それほどまでに、怪物達との戦闘は俺達を疲弊させていた。
「それにしても、本当にリアルだな」シュルツが近くの木の葉をいじくりながら言った。「見てみろよ。この葉っぱの初々しいこと」
「確かに、このシステム4の細部にまで徹底したこだわりがあるでしょう。葉っぱの一枚一枚に至るまでちゃんとデータを用意してある。普通は木は木で一つの物体、地面は一枚ののっぺりとした面ですからね」カインはまた講釈を始めた。「しかしそれだけでは、これだけの本物らしさは感じられないでしょう。我々が見ているものは、一部は作りだされた映像ですが、一部はLSDがもたらす幻覚だといえるのです」
「幻覚だって!?」と俺はたまげて言った。
「例えばこの葉っぱにしても、形や色はコンピュータグラフィックスですが、その初々しさ、WもっともらしさWは、幻覚がもたらす作用でしょう」
「待ってくれ。だとすると一人一人によって全然見え方が違うはずじゃないか?」
「しかしそれが葉っぱであるということから導かれるイメージは、だいたい似たようなものでしょう。人によって多少の差異があるのは、現実においてもそうではないですか? あなたの見ているものと、私の見ているものが、全く同じだとどうして言えるでしょう?」
「本当かね」と言いながら、シュルツは立ち上がり、薪を一本取って火の中に放り込んだ。「だいたいあんた、理屈っぽすぎるよ」
 するとその時、突拍子もないことが起こった。
 ボボウッと火がその勢いを増すと、その上の空中に、小さな老人が現れた。だぶだぶとした白い衣を身にまとい、怪しい光に包まれた身の丈二十センチほどの半透明のその老人は、俺達に向かって手を広げ、しゃべりだした。
「おお、勇者殿、お待ち申しておりました。私はこの星の記憶。星の代弁者。あなた達が来るのをずっとお待ちしていました」
「大きく出たな」と俺が言うと、カインが「しっ」と、人さし指を口に当てた。
「この惑星は昔、緑豊かな土地でした。それがこのように荒れ果ててしまったのは、ペリオンの怒りのせいなのです。あれをごらんなさい」
 俺達は老人が指さす天空の一点を見つめた。そこに、ひときわ明るく、赤く輝く星が見えた。
「あれが私達がW守護神ペリオンWと呼んでいる星です。あの星が赤みを増すにしたがって、アルカシアはその影響を受け、次第に枯れていったのです。あの星はもうすぐ大爆発を起こして超新星となるでしょう。その影響ははかりしれません。私達の太陽系など木っ端微塵に吹き飛ばされてしまうか、あるいは良くても二度と人の住めない砂漠の星となるでしょう。どうかアルカシアを救って下さい。そのためにはまず、このアルカシアの人々が緊急非難した衛星バビロンに行って下さい」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。星が超新星になるのを一体どうやって俺達が……」
「空に飛び立つための船が、ここから北に五キロの地点にあります」
「おい、ちょっ……」
「ペリオンが爆発するまで、あまり時間がありません。さあ、急いで下さい」
 それだけ言うと、老人はフッとかき消すように消えた。
「一方的だな」と俺はカインに言った。「このシステムでは、会話はできないのか?」
「無理ですね。会話となると、コンピュータがこちらの言うことを理解し、それに応じた言葉を返さなくてはならない。それは仮想現実の技術よりもむしろ人工知能の範疇でしょう」
 その時突然、「おめでとうございます」という声が聞こえた。ゲームの最初で説明をしていた女性の声だ。
「あなた達は、最初の目的を見つけ出しました。あなた達はレベルアップしました」
 なんだかうれしい反面、馬鹿にされたような気がした。
「では宇宙船に向かって下さい。制限時間は一時間です」
「まじかよ……」シュルツは膝に手をついて言った。
 空が、急速に白み始めた。あっという間に夜が明け、真っ青な、快晴の空が広がった。天高く浮かぶメーターを見ると、ヒットポイントもマジックポイントも満タンになっていた。一晩よく休んで、すっかり体力が回復したというわけだ。しかし現実の俺達は、へとへとのままだった。
「さ、急ごう」俺はシュルツの肩をポンと叩き、歩き始めた。


 カエルの顔をした怪物達と戦いながら、俺達は突き進んでいった。三十分ほど歩いただろうか。俺達は短い草がまばらにしか生えていない、乾いた土地に出た。
 その時である。ズシン、ズシンという音が聞こえ始め、その度に地面が震動した。そいつはのしのしと歩きながら、こちらに向かってきた。
「お、おい。でかいぞ」俺は顔をひきつらせた。
「グアーオ!」
 ティラノザウルスだ!
 ひゅん、ひゅんとカインが矢を放ち、それは恐竜の腹に刺さったが、全然効いてないようだった。
「フレアー!」
 鼻先についた火を、怪物は手で振り払った。
「ガーッ!」
 怪物の顔が、よだれを滴らせた口が、俺とシュルツに迫ってきた。その時、カインの矢が怪物の腕に突き刺さった。怒り狂ったような叫び声をあげ、怪物はカインに向かっていった。
「や、やめろ! 来るな!」
 巨大な尻尾が、ブンと振り回された。「うわああっ!」カインが吹っ飛ばされ、カインのヒットポイントが一気に激減した。
「いやああっ!」俺は怪物に突進し、足に切りつけようとした。
「わああっ!」俺は蹴りとばされ、俺のヒットポイントも一気に減った。
「フレアー! フレアーッ!」
 シュルツの魔術は怪物の体のあちこちを一瞬だけ燃え上がらせるだけで、決定的なダメージを与えることができない。ズン、ズン、ズン、と足音を響かせながら、怪物がシュルツに迫っていく。
「逃げろっ、シュルツ!」
「ひぎゃああーっ!」
 次の瞬間、信じられない光景が広がった。怪物はシュルツを口にくわえたまま、首をブン、ブン、と振り回していた。バリッ、バリッ、という嫌な音とともに、シュルツのヒットポイントがグングンと減っていく。
 ついにそれが0になった瞬間、シュルツの体がグン! とのけぞったように見えた。何の声もあげず、シュルツはぐったりとなった。
「ちくしょおおーっ!」俺は立ち上がり、剣を思い切り投げつけた。
「グギャアオッ!」
 剣は見事に怪物の喉に突き刺さった。怪物は空を見上げ、そのままズッシーンとすごい音をたてて地面にくずれ落ちた。


「シュルツ……」
 俺達は、巨大な恐竜の頭の側に転がっているWそれWを呆然と見ていた。上半身と下半身が真っ二つに裂かれたシュルツ……。アングリと開いた口から大量の血を吐き、目をひんむき、大空を見上げている。シュルツの死に対する悲しみや、自分もこうなってしまうのかという恐怖や、マローに対する怒りや、そういった感情がぐちゃぐちゃに混ざり、何も考えられず、ただひざまずいて呆然とシュルツを見ているのだった。
「アレックス、行きましょう。時間がありません」
「ああ」
 カインに助けられ、俺はよろよろと立ち上がった。
 その時、異変が起こった。
 ジッ、ジジッ、という音とともに、倒れている恐竜が、テレビ画面が乱れるようにチラチラし始めた。それだけではない。見回すと周りの風景が、同じように乱れ始めたのだ。
 突然、「おい、どうしたんだ!」という声が聞こえた。マローの声だ。俺達はきょろきょろした。
「博士、大変です。システムの調子が」これは全然聞いたことのない声だ。
「やむを得ん。システム……シャットダウン……」
 ザーッというノイズ音が混じり始めた。
「被験者……どうします……電圧……」
 ザーッという音はいよいよ大きくなり、耳をつんざくほどになった。と、突然それが途切れ、視野が真っ暗になった。


「ウーン」
 俺はうなりながら身を起こした。頭がガンガンする。一体どうなったんだ?
「あ痛たた……」と言いながら、カインもまた上半身を起こした。
 俺は壁に手をつきながら、よろよろと立ち上がった。見ると、未来的なデザインの、金属的な廊下がずっと続いているのだった。天井には青白い蛍光ランプが延々と列をなしている。
「ここはどこだ?」とは言ってみたものの、カインにも分かるはずがない。
「ゲームは……どうなったんです?」カインも、俺に分かるはずがない質問をした。
 見ると、カインも俺も今までの格好とは違う、銀色の、だぶついた宇宙服のようなものを着ていた。なんとなく違和感を感じ、顔に手を当ててみると、今までは確かにあった眼鏡の感触がなかった。
 上を見上げてもヒットポイントとマジックポイントのメーターもなかった。
 その時突然、ビーッ、ビーッ、ビーッ、というけたたましい音が鳴り始めた。
「緊急事態、発生」
 ゲームの説明の声とはまた違う女性の声が、廊下に響きわたった。
「本船は、三十分後に、爆発します。総員ただちに、脱出シャトルに避難して下さい」
「W本船Wだって!?」俺は大声を出した。「するとここは、衛星に向かう宇宙船の中なのか!?」
 ボウン!というでかい音がしたかと思うと、廊下がガクンと傾いた。
「うわあっ!」俺達はしたたかに壁に体を打ちつけられた。
 廊下がガタガタと、縦と横に激しく揺れ出した。しかしなんとか傾きは元にもどったので、俺達は立つことができた。
 無機質な女性の声が繰り返される。
「緊急事態、発生……」
 ピチュン、という音が聞こえ、ジュッという音とともに床から小さく煙りが立ちのぼった。
「待てえーっ! 裏切り者っ!」
 振り向くと、俺達と同じような格好をした男が数人、こっちに向かって走ってくるのが見えた。
 ピチュン、ピチュン、という音とともに男達の銃からレーザーが発射され、壁に、床に当たって火花を散らす。
「に、逃げろっ!」
 俺達は走った。
 ボウンッという音が再び響き、俺達は床に転がった。
「待てえーっ!」
 再び立ち上がり、走りだす。
「ちくしょう! いつまでこんな事が続くんだっ!」
 俺は、どこかで聞いているかもしれないマローに向かって叫んだ。
「早くW本当のW現実に戻してくれっ!」
 だがしかし、実は俺はぞっとしていた。今まではまだ、いくらリアルだとは言っても、現実とは何かが違う違和感があった。しかし、今はそれがないのだ。立体映像を見続けることから生じる目の疲れもなかった。
 先を走るカインがいきなり立ち止まったので、俺はもう少しでぶつかるところだった。
「どうしたっ!」
 見ると、道が左右と前方に分岐していた。
「左です」カインは言って、左の道へ走りだした。
「おいっ、どこに行くんだ」
「この突き当たりに、システム4のメインシステムルームがあるはずです」
「何言ってるんだっ!」
 カインは走り続けながらも、顔はいたって冷静だった。
「私はシステム3までの設計に関わっていた人間です。だからおおよその見当がつくのです。これからシステム4を強制終了させます」
「冗談じゃない! ここはシステムが作りだした世界の中なんだろ!?その中からどうやってシステム自身にアクセスするんだ!」
 カインの話は矛盾だらけだった。
「大丈夫。私に任せて下さい」
 俺達が廊下の突き当たりに着くと、そこにある扉がグオーンという音をたてて開いた。中に飛び込むと、そこは大きな部屋だった。
 壁には巨大な窓があり、星々がまたたく宇宙が見える。周りの星々に比べてひときわ大きく、山小屋から見上げた時と同じ赤い色をした、ペリオンと呼ばれていた星が、あの時よりも数倍大きく見えた。
「本船は、あと十分で、爆発します」女性の無機質な声が響く。
 カインは部屋の一隅を占めるコンピュータ端末の前にすわった。
「この端末は、仮想現実世界から四次元空間を通って、現実世界の、アルカーム研究所のシステム4にネットワークを通してつながっているんです」
「何言ってるんだ。お前、正気か!?」
 正気……。その時になって初めて俺は、カインの様子がおかしい事に気がついた。
「ミンコフスキーという学者を知っていますか? 彼は、霊体だけが、四次元空間に入り込めるという説を唱えています。それと同じ原理ですよ」
 カインの言うことはますます支離滅裂になってきた。その目は血走っており、口もとはニターッと不気味に笑っているのだった。
「お前、まさかLSDが効きすぎて……」
 ボウンッという音が響き、部屋が大きく揺れた。
「時間がありません。さあ、行きますよ!」
 カインは知るはずのないシステム4のパスワードをカタカタと入力した。
 画面に、「システム4へのアクセスが許可されました」と表示された。だがその途端、ビーッ、ビーッ、ビーッ、という音が鳴り響き、例の無機質な女性の声が今までとは違う言葉をしゃべった。
「警告! 警告! システムに侵入者がいます」
 人の気配を感じ、驚いて振り向くと、いつの間に入ってきたのか宇宙服の男達が背後に立っていた。
「この不法侵入者めっ!」
 男達の銃から一斉にレーザーが発射され、カインの体に集中した。
「うわああっ!」カインの体がビクビクと痙攣し、口から泡をふき、バッタリと倒れた。
「次はお前の番だっ!」
 男達の銃が俺をねらう。その時、ボウンッという音とともに部屋が激しく揺れ、男達がよろけた。俺はその瞬間を逃さず部屋から飛び出した。
「待てえーっ!」
 俺は走った。走りながらこんな考えが頭に浮かんでくるのだった。ひょっとすると、もうとっくに現実に戻っているのではないか? この宇宙船のように思える建物は実はアルカーム研究所で、全てはマローが仕組んだお芝居なのではないか? だが、そうではないことがすぐに分かった。
 突然目に映る風景が、組み合わさったジグソーパズルがばらばらとくずれるように分解され、闇の中に散っていった。かわりに何十発という花火が破裂するかのように、光と色の洪水が押し寄せた。
「わあああーっ!」
 俺は、その光と色の渦の中に落ちていった。


 ふと気がつくと、俺はどこか大きな建物のロビーのような場所にいた。椅子にすわった、何十人もの人達。忙しく歩き回る看護婦や、医者。ここは……病院だ!
 グレーの背広姿の俺は、呆然とそこに突っ立っているのだった。
 ふいに、看護婦の一人が俺に駆け寄って来るのが見えた。
「アレックスさんですね? 大変です。早くこちらへ」
 看護婦はぐいぐいと俺の腕を引っ張っていく。長い廊下を右に曲がり、「内科」や「外科」の札がかかったドアの前を通り過ぎていく。そして、「手術中」のランプが赤く光るドアの前に、俺を連れていった。
「さあ早く。中に入って下さい」
 俺は、看護婦に促されるまま、ドアを開け、中に入っていった。だがしかし、鉄格子が俺の行く手をはばんでいた。バタン、と背後でドアが閉じられ、俺はドアと鉄格子の間の狭い空間に閉じ込められてしまった。
 俺は、鉄格子の向こうに広がる風景を見て、仰天した。
「シュ……シュルツ!」思わず両手で鉄格子をつかむ。
 そこには死んだはずのシュルツがベッドに縛りつけられ、その周りを医師達が取り巻いているのだった。
「ではこれより、末期ガン患者の胃切除手術を行う」医師の一人が宣告する。「患者は意識不明の重体であり、緊急を要するため、無麻酔での手術を行う」
「やめろおーっ! やめてくれえーっ!」シュルツはベッドの上でもがいている。
「シュルツ、シュルツ!」だが俺の声は、医師達にも、シュルツにも届いていないようだった。
「メス」
 医師の手に渡された刃物が、ギラリと光る。非情にもその鋭い先端がシュルツの腹に押し当てられ、つーっと下がっていく。
「うわあああーっ!」
 さらに二度、三度と切りつけるに従い、血が噴き出し、だんだんと切り口が広がっていく。天井に鏡が傾けて取りつけられており、その生々しい様子が俺にもはっきりと見えるようになっている。まるでその冷酷な残忍さを俺に見せたいかのようだ。
「痛えええーっ! やめろおおおーっ!」シュルツの目から涙がぼろぼろこぼれ、つばが飛び散る。
「鉗子」
 血管をはさみ、結さつする。さらに深く切っていくと、ついに内臓が現れた。シュルツは白目をむき、ガボッと血を吐きだす。そうまでなっても、気絶することはなく、ただひたすらもがき、苦しむのだ。
「開創器」
 切開口をぐいと開く。胃を引き出しながら、周りの臓器から切りはがしていく。そして胃にメスをつきたて、ナイフでビフテキでも切るように、切り取っていく。
「ア……アレックス……」シュルツが顔をこちらに向けた。
「シュルツ!」
「や、やつを……やつは屋上から……ヘリで……逃げる気……だ……」
 ガクッと首が横に倒れた。ピッピッピッという心拍計の音が、ピーッという音に変わった。
「シュルツーッ!」


 ううう……。頭が痛い。一体何度繰り返せば気が済むのだろう。今度はどこだ?
 俺は、周りを見回した。
「こ、これは……」
 俺は濃いグレーの、半球型のドームの中にいた。ここは……アルカーム研究所だ!
 自分の体を見ると、黒とグレーの色調からなる、ウェットスーツのようなものを着ていた。すると今度こそ、現実に戻って来たのだろうか?
 俺は顔に手を当ててみる。眼鏡もヘッドフォンもつけていない。
 ドームは厳粛な静寂に包まれている。横には、二つの台があるが、いずれも空だ。
 俺はその時、変な気がした。何が変なのだろう。そうだ、俺を閉じ込めていた、ガラスのチューブがないのだ。俺はいぶかりながらも、シートに手をつき、立ち上がった。足を一歩踏みだしてみる。足元のシートは動かない。俺は易々と台から下りることができた。
 機械を後にして、部屋のドアに近づいていく。そういえばまだ、部屋の外というのは見たことがない。プシューッと音がして、ドアが開く。俺は外に踏みだした。
 部屋の外の廊下には、白衣の男達が、血を流しながら何人も倒れていた。一体何が起こったのだろう。仲間割れでもしたのだろうか?俺は白衣の男の一人の手から機関銃をつかみとり、歩きだした。
「いたぞっ!逃がすな!」という声が背後から聞こえた。俺は振り返り、機関銃をぶっぱなす。ズダダダダ……
「ぐわっ!」白衣の男二人が床に倒れた。
 俺は、迷路のような廊下を、慎重に歩いていく。次々と現れる研究員を、相手が撃つ前に撃ち殺す。まるでWゲームWのように……。俺は怒りに燃えていた。ちくしょう! マローのやつ、絶対に許さない!
 俺は、エレベーターの前にたどり着いた。
「あいつ、七階に行くつもりだぞ!」
「逃がすなっ! マロー博士が危ない!」
 振り返り、銃をぶっぱなす。男二人が床にくずれた。
「そうか。マローは七階にいるんだな」と、俺はつぶやく。

 エレベーターを降りると、廊下は一本道だった。突き当たりに、大きな扉が見える。あれがマローの部屋か。俺は、コツコツと足音を響かせながら、歩いていった。扉が音もなく開く。俺は中に踏み込んだ。
 そこに、やつがいた。ふっかりとしたソファーに足を組んで腰掛けた、初老の男。白髪まじりの髪と、白い口髭。黒のスーツに身を包んだそいつは、すっくと立ち上がった。
「よく来たね。私がマローだ」
「貴様! よくもカインとシュルツを……」
「仕方ないではないか。君達は死刑囚だよ」マローは笑った。
「俺達に罪はない!少なくとも、カインとシュルツに関しては、むしろ罪人はお前じゃないか!」
「仮想現実システムのことかね。偉大な発明のためには犠牲がつきものだよ。口封じのためだ。君も死にたまえ」
「貴様が死ねえーっ!」
 俺は機関銃をぶっぱなした。だがしかし、弾丸はやつの体を素通りし、ソファーや壁に穴が開いただけだった。
「アッハッハッ。私はこの研究所を爆破するつもりだ。ここはもう用済みだ。君達を使った実験で、十分なデータがとれたからね。すでに別の場所で、五号機の開発がちゃくちゃくと進んでいるのだ。爆破スイッチは私が持っている。でも私はここにはいない」
 さらに笑いながら、マローの体がチラチラッとチラついたかと思うと、スーッと消えていった。
 突然、バタバタバタという轟音が、頭上から響きだした。屋上だ!俺は部屋を出、再びエレベーターに乗った。

 赤い文字で「R」とでっかく書かれたドアをバタンと開けると、ヘリコプターが巻き起こす突風にあおられた。
「博士、早くこちらへ!」
 軍服姿の操縦士が、マローをヘリの搭乗口に導いている所だった。
「あっ、貴様!」操縦士は俺に気づくと、パーン、パーンと続けざまに二発撃った。しかし二発とも、俺を外した。
 俺の機関銃が火をふく。ズダダダダ……
 操縦士は海老のようにのけぞり、そして倒れた。
「マロー、覚悟しろ!」
「やめろ! 撃たないでくれ。話せば分かる!」
 マローは両手を上げる……ふりをしながらいきなり腰の拳銃を引き抜いた。
 一瞬早く、俺の銃がやつの体を撃ち抜く。
「あああっ!」マローは空を仰ぎ、ひざまづき、そして倒れた。
「ハア。ハア。やったぞ。全ては終わった。ゲームエンドだ!」

 俺は累々と積み重なる屍を踏み越えながら、一階に降りていった。これでやっと、家に帰れる。そしたらスパイなんかやめて、家族で田舎へ引っ込んで、平和に暮らすんだ。
 俺は正面玄関から外に出た。だがしかし……

 そこには、赤い、荒涼とした大地が広がっていた。向こうには赤黒い肌をした、はげ山が見える。
「ウアルルッ!」という声をあげながら、額に角を生やした怪物達が俺に向かって走ってきた。気がつくと、俺は剣士の格好をしているのだった。しかし、剣を持っていない。銃も持っていないのだった。
 怪物達が俺をつかみ、地面にねじ伏せた。
「やめろっ! 畜生、やめろっ!」
 怪物のうちの一匹が、「あなた、しっかりして」と言った。


「あなた、しっかりして! あなた!」
 私はベッドの上で暴れている主人に訴えかけた。先生達と看護婦さん達が、必死に主人を押さえている。
「大橋さん、分かりますか? 大橋さん!」先生が主人に話しかける。
「だれが大橋だ! 俺の名前はアレックス・ガードナー……」
「君、鎮静剤を」
 看護婦さんが注射をうとうとすると、主人はさらに激しく暴れるのだった。
「さてはLSDの量を増やす気だなっ!」
「ああ、あなた。私よ、美代子よ」
 先生は私を見て、言った。
「奥さん、ご主人は幻覚の世界にいるのです。現実との区別がつかないのです!」
 ああ、神様。主人の病気は、もう治る見込みはないのでしょうか。

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