ごっ、ごっ、と雪を踏み鳴らしながら、小僧はお寺へと帰る道を急いでいた。高野山の冬は厳しい。歩くうちにも小僧の坊主頭に雪が降り積もっていく。両手にかかえた藁包みで顔にかかる雪を防ぎ、白い息を吐き出しながら、家路を急ぐ。藁包みの中にはお寺の修行僧達の夕食の食材が入っているのだ。途中、どさっ、という音が聞こえたが、徐々に勢いを増す雪の気配におびえる彼には、後ろを振り返る余裕などなかった。
 ようやくのことでお寺に帰りついた小僧が藁包みを開けてみると……
「な、ないっ!」
 豆腐が、ないのであった。きっと途中で包みから落ちてしまったに違いない。ああ、和尚様に何と言い訳しよう。
「どうした? 坊主」
 現れた覚海に、小僧は豆腐を落としてきてしまった旨を、正直に語った。きっと叱られると思った彼は、言った。
「今から……、探してきます!」
 しかし覚海は柔和な顔で言うのだった。
「よい、よい。もう暗いことだし、白い雪の上の白い豆腐はさがしにくかろう。だが、物を大切にするということは大事なことじゃ。明日の朝になったら、探しにいくのだよ」
 翌朝、やっとのことで探し出した豆腐は、すっかり凍りついていた。小僧は覚海に相談し、湯でもどしてみることにした。食べてみると、それは豆腐とはまた違った旨みが付いていた。ほんのりと甘いそれは、その後民衆に広まっていくことになる。

       *       *       *

「……というのが、高野豆腐の始まりだよ」と、俊介は言った。
「へえ、そんな話があったの」由梨絵は微笑みながら答えたものの、あまりそんな話には興味がないようだ。由梨絵の眼は輝いていた。彼女の頭の中は明日日本へ帰ってくる川谷君のことで一杯なのだ。
 食卓の上には、高野豆腐ににんじんを乱切りにしたのと、さやいんげんげんが添えられた小皿が、酒の肴としてちんまりと置かれている。
「それにしても、よく父さんの好物を覚えていたな」俊介は高野豆腐を箸でくずして口に運んだ。じゅうっと、ほんのり甘い煮汁が口一杯に広がる。
 全体に薄茶色を帯びた、何の飾りもない、のっぺりとした食べ物。普通の豆腐のように、ねぎや鰹節が乗っているわけでもない。一様に薄茶色で、どこか色彩的にあざやかな所があるわけでもない。そんな質素な食べ物を、どうして自分のような年配の人間は好むのか。俊介はふとそんなことを思った。
「お母さんに習ったのよ」と、由梨絵は言った。
 久しぶりに会った娘は、いつの間にか大人になっていて、母さんの手料理を真似るようになった。
「老けたな」と、俊介は思った。
 俊介はビールをごくりと飲み干す。テーブルを挟んで向かい合った由梨絵が空になったコップにビールをつぎ足す。
「明日のお昼には成田に飛行機が着くから」由梨絵は頬杖をついた。
 自分の婚約者を初めて父親に会わせる喜びで、彼女の胸は満たされているようだ。
「母さん、俺もいよいよ一人ぼっちになるよ」俊介は、心の中で、天国にいる妻に向かってつぶやいた。

       *       *       *

 ちらちらと雪が舞い続ける中、二人の、はではでな銀色の服に身を包んだ男達が、新雪に足跡を刻みつけていた。その二人は、どちらも頭でっかちで、手足はひょろりとしている。トランシーバーのようなものに耳を当てていたちびの方が、のっぽの方に話しかける。
「隊長、ただちに帰還せよとのことです」
「うん。そうだな。この時代にも異常はなさそうだし、そろそろ帰るか」
「二十世紀にですか? それとも三十世紀にですか?」
「二十世紀の時間局に立ち寄っても、用事はないだろう。三十世紀に直行しよう……、おや?」
 のっぽは、足元に落ちている、白い、四角い物体をみつめた。
「なんでしょうね?」ちびもまたその見慣れない物体に興味を示した。
「待て。今、知識データベースから検索してみる」のっぽは腕にはめたポータブル端末を操作した。
「時間工作員の罠かもしれません」ちびは腰のホルダーからレーザー銃を抜いて、構えた。「破壊しましょう」
「待て!」のっぽはちびの腕をつかんだ。が、一瞬遅く、銃から閃光が閃いた。光線はねらいを外れ、物体のすぐ側の雪を射抜いた。もうっと、水蒸気が立ちのぼって消えた。
「馬鹿者! タイムパトロールが過去に干渉すればどうなるか、分からんのかっ!」
「す、す、す、すみません。でも何かの罠かも……」
「これは大昔の、“豆腐”という食べ物だよ。大豆の加工品らしい」
「どうしてそんなものが、こんな所に落ちているんですか」
「それは分からんが、とにかくこれはこのままそっとしておこう。さあ、さっさと帰ろう」

       *       *       *

 ごっ、ごっ、と雪を踏み鳴らしながら、小僧はお寺へと帰る道を急いでいた。両手にかかえた藁包みで顔にかかる雪を防ぎ、白い息を吐き出しながら、家路を急ぐ。途中、どさっ、という音が聞こえたが、徐々に勢いを増す雪の気配におびえる彼には、後ろを振り返る余裕などなかった。
 ようやくのことでお寺に帰りついた小僧が藁包みを開けてみると……
「な、ないっ!」
 豆腐が、ないのであった。
 翌朝、さんざん歩き回ってやっとのことで豆腐を見つけた彼は、一瞬満面に笑みを浮かべたものの、すぐに首をかしげた。豆腐にはある変化が起こっていた。もちろん、凍りついていたことは言うまでもないのだが、もうひとつ、奇妙な変化が起こっていた。だが、とにかく豆腐を見つけた彼は、急いでそれを寺に持ち帰った。

       *       *       *

「……小僧が豆腐を見つけた時には、すっかり凍りついてしまっていたんだよ。それを湯でもどして食べてみた、というのが高野豆腐の始まりだよ」
「へえ、そんな話があったの」由梨絵は微笑みながら答えた。
 俊介は、高野豆腐を箸でつまんだ。
 隅を火であぶって、湯でもどし、だし汁で煮付けてある。隅のおこげの部分が、一面に薄茶色いだけの豆腐に彩りを添える。口一杯に広がる薄甘い煮汁も格別だが、このおこげの部分の香ばしさがたまらないのだ。
「でも、隅を火であぶるようになったのは何故?」と、由梨絵は聞いた。
「それはな……」俊介は、ちょっと困った。
「それは、まあ、昔の人の、“風流”というもんだよ。“風雅”だよ」 
 とは言ってみたものの、どうしてだろう、と、ちょっと不思議に思った。

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