「ねえ、キミ子ったら最近どうしちゃったのかしら」
 キミ子の様子は最近おかしかった。あんなに明るく、元気だったのに、最近ではしょんぼりとして、話しかけてもろくに返事もしない。
 それでも無理に話そうとすると、「ごめんなさい」とつぶやくのだった。
 独りで何かぶつぶつ言っていることも多かった。
「旧約聖書の神は、父のようにきびしい。新約聖書の神は、母のようにやさしい」とかなんとか。


 キミ子は公園のベンチにこしかけ、ある一人の外国人を見ていた。
 キミ子は女子高生である。学校へは電車で通っている。その駅の公園で一人の外国人が一日中そこに立ってあたりに目を配っている。
 時々サラリーマンや、金髪で、あちこちにピアスをしている兄ちゃんがその外国人に話しかける。
「ドラッグは駅前のイラン人から入手せよ」とは、何の本に書いてあったことだったか。
 どうもその外国人が、それらしいのだ。
 キミ子は、もはや非合法ドラッグに手を出さなければならない所まで追いつめられていた。
 不幸じゃないけど、幸せでもない。
 つらくはないけど、楽しくもない。
 ブスじゃないけど、美人でもない。
 死にたくないけど、生きがいもない。
 誰も愛してないし、誰からも愛されない。
 友達はいるけど、それはミメンタールのおかげ。
 ミメンタールは、内向的で落ち込みがちな人間を、元気で明るい人間に変えてしまうという便利な薬で、二十世紀に「抗うつ剤」と呼ばれていたものをさらに発展、改良したものだった。
 具体的な理由があるわけでもないのに、抑うつ状態になったり、絶望感にとらわれたりするのはなぜか。
 ノルアドレナリンを中心としたホルモンが低下するから、という考えが二十一世紀になった現在でも有力だった。
 いやがるキミ子を両親が精神科に連れていったのは、彼女がまだ中学生の頃だった。
「まあ、思春期にはよくあることですよ」
 最初の病院で診てもらった恵比寿顔の医師は、ニコニコしながら言った。しかし、そこでもらった薬は全然効かなかった。
 二番めに行った病院では、むしろやせぎすで神経質そうな医師が診察した。
「お嬢さんの場合、病気とはいえません。むしろ、性格や人格に問題があるといえるでしょう」
 うつ病というわけではないのだが、その人の性格があまりにも抑うつ的で、日常生活に支障をきたす場合、性格障害あるいは人格障害と呼ばれる。
 そしてそこで処方されたのがミメンタールだった。
 それは、素晴らしい体験だった。どんよりとくもって見えた空は晴れわたり、全てが活気に満ち、小鳥達は愛の歌をうたった。
「生きてるって、こんなに素晴らしいことなんだ」
 と素直に感動することができた。今までできなかった「友達」というものが、初めてできた。
 しかし、ミメンタールは三年で耐性ができる、すなわち、効かなくなってくるのだった。そしてキミ子は三年めをむかえようとしていた。
 自殺だけはしてはならない、と、キミ子は思っていた。それは、最近、SF関係の雑誌で「臨死体験について」という特集を読んだからだった。
 自殺をはかり、三日後に生き返ったフランスの女性はこう言った。
「足は木の根のようになってしっかりと土の中に植えつけられ、その状態のまま一兆年じっとしていることを約束させられた」と。
 また、仮死剤を飲んだあるアメリカの大学生はこう言った。
「大きな瓶の中に首から下をすっぽり入れられた。どうやらこのままの状態が未来永劫続くらしかった」と。
 人を、催眠術によって記憶を過去にさかのぼらせていくと、ついには前世の記憶を思い出す。それがでたらめでない証拠に、被験者が証言したことが確かに過去に起こっていたという事例がいくつも見つかっているのだ。
 キミ子はだんだんと、「死後の世界はある」という考えにひかれていったのだった。


 ある日、キミ子が新聞を見ると、そこに大きくこう書かれていた。
「麻薬厳罰法、適用される」
 と。これは要約すると、麻薬の販売人は見つかりしだい無期懲役の刑に処されるという内容だった。
 翌日、駅前の公園に行ってみるとイラン人の姿はなかった。
 キミ子は、まぶしいほどに青い空を見上げた。
「ここから、逃げたいよう」
 キミ子の目から、ぽろぽろと涙がこぼれるのだった。

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