目が覚めると二十一世紀だった。そう、今日は二〇〇一年一月一日、新しい世紀の始まりだ。とは言っても、別にどうということもない。生活は何も変わりはしない。今日は昨日の延長に過ぎない。失望だったら、去年すでに味わった。ミレニアムなんて言われて、何かが変わるのかと思ったら別にたいした違いはない。お祭り騒ぎもなかった。ハレの日は遠い昔の人達のものであり、僕らには世紀の変わり目なんていうすごい時期でさえ、何の宝物も待っていない。ただケの日常を繰り返すだけ。
 僕は大あくびをしながらベッドを降りると、窓際に近寄って外の景色をながめた。ビルがたくさん建っている。向かいのアパートの壁は薄汚れている。空中を車が飛んだり、円錐形やドーム型の建物が並んでいたりしない。ボーマン博士が宇宙の旅をしたりしそうにない。あと五年もすれば宇宙ステーションができるらしいが、実験や研究用のものに過ぎない。テレビ電話はできたけど、動きがコマ送りだし、画質も悪い。僕らが子供の頃思い描いた二十一世紀とはかけ離れている。
 ネットワークで全世界がつながったなんて言われているけど、インターネットは電話料金がかかり過ぎて使いものにならない。
 この十年で飛躍的な進歩を見せたのはテレビゲーム機くらいか。
 バブルがはじけて長い年月がたつが、相変わらず不況、不況と言われている。今年も日本の雇用率は回復しやしないだろう。
 つまらない。ああ、つまらない!
 僕は机の上の置時計を見た。八時十三分か。昨日は年越しそばを食べて、家族で「明けましておめでとう」と言いあって、その後少しだけテレビを見ていたが、二十一世紀の幕開けだというのに芸能人達は例年通りの事しかやらず、あきれ果てて寝てしまった。
 九時からお決まりの雑煮とおせち料理を食べることになっている。まだ少し時間があるので僕は再びベッドに上がった。
 どうせみんなでマラソンでも見るのだろう。人が走っているだけの番組の、どこが面白いのか。
 冬休みが終われば、また大学だ。面白くもない講義を聞いて、東野や木田と毎日同じような事をしゃべって、帰ってテレビ見て飯食ってレポート書いて……。
 それが今後ずっと繰り返されるのだ。新しい世紀になったところで、何も変わりはしない。
 そんな事を考えているうちに眠ってしまった。


 目が覚めると二十一世紀だった。おや? さっきも同じことを考えたな。僕は卓上の時計を見た。八時五十分。もう起きなきゃ。
 僕は頭をかきむしり、立ち上がり、窓辺に歩み寄った。
「は?」
 僕は凍りついた。なんだこれは! 外の風景がおかしい。ビル群はなくなり、銀色の、円錐形やドーム型や、その他もろもろのシュールな形の建物が並んでいる。ほっぺをつねってみた。痛い。どうやら目は覚めているようだ。
 早くも正月ぼけが始まったのか? 冗談じゃない。まだおとそも飲んでいないのに。
 突然ドアをノックする音が聞こえ、僕は心臓が口から出そうなほど驚いた。
「卓也、起きてるの? 朝ご飯食べるわよ」母親の声が耳から入り、真っ白になった脳に文字となって書かれた。
「ええ? うん。ああ」
 足音が遠ざかっていく。
 そうだ、親に聞いてみるのがいい。いったい何が起こったのか。僕が寝ている間に、隣りに遊園地でもできたのか? バカな。わずか三十数分の間に?
 すぐに問いただしてみなくてはならない。
 僕は部屋を飛び出し、廊下を走った。ドアを開け、台所に入った途端、唖然とした。
 父と妹がテレビのマラソンを見ている。問題なのは服装だ。ビニールか皮のように光っている。妹のはピンク色で、父のは黄色だ。思わず下を向く。僕はその時になって初めて、自分が光沢のある青い服を着ていることに気づいた。
「おはよう」父がたるんだ声で挨拶した。
「おは、よう」
 僕はロボットになってしまったかのような調子で歩いていき、テーブルの前にすわった。
「これって、どうなってるの?」僕は父に尋ねた。
「何が?」
「いや、外の景色だよ。どっかのパビリオンか、博覧会みたいになってるでしょ?」
「沢井が追い上げてきたぞ」
 父の目はテレビに釘付けになっている。
「あのさ、聞いてほしいんだけど。ほら、僕らの服も変だろ? なんでこんなの着てるの?」
「新しいパジャマを買ってほしいのか。そういうことは母さんに言え」
「いや、そうじゃな」
「沢井が抜かしたよ」妹が口をはさんだ。
「いいぞ、沢井」
 ランナーは困ったような、怒ったような顔をしている。
「ほら、昨日までアパートとかマンションが建ってただろ? いつの間に隣りにあんなの、できたの?」と僕は聞いた。
「何ができたって? 何もできてないだろ」
 どうやら父は、これを普通のこととして受け入れているらしい。なぜだ。
「今日もアパートやマンションは建ってるじゃん」
 妹もだ。
「じゃあ聞くけど、あの筒や円錐がアパートだってのか?」
「お兄ちゃんおかしい。何言ってんのか分からない」
 変なのは僕の方か? どうなっているんだ。壁にかかったカレンダーを見る。二〇〇一年の一月だ。タイムスリップしたわけではないようだ。すると、僕は異次元の世界に飛ばされたのか? 他に考えようがない。僕の頭がおかしくなったのでなければ、の話だが。
 よく見ると、テレビのマラソン中継も変だ。外ではなく、どこかのドームの中を走っている。
 つやつやした緑色の服を着た母が歩いてきて、ビフテキがのった皿を置いた。
「涼子、料理運ぶの、手伝って」
「はあい」
 フライドポテト、サラダ、ビールといった洋食が、テーブルの上に並べられていった。
「あのさ、雑煮は?」僕は母に聞いた。
「あんな古いもの、卓也は食べたいの?」
「父さんが子供の頃、よく食ったな」父はテレビに目を向けたまま言った。
「じゃあ、ひょっとして、おせちも?」
「おせちって、おせち料理のこと?」母は少し怒って言った。「そんなもの、今どこにも売ってるわけないじゃないの」
 やっぱり異次元だ、と僕は思った。子供の頃思い描いた二十一世紀に、入りこんだのだ。
 僕らはコップを顔の高さに掲げた。母と妹のグラスにはオレンジジュースが、僕と父のにはビールが入っている。
「明けましておめ」
「ハッピーニューイヤー!」三人は大声で言った。
 僕は琥珀色の液体をのどに流し込んだ。ステーキをナイフで切り、口に入れた時、はっとした。僕は悟ったのだ。きっと、つまらない、つまらないと念じていたから、神様が願いをかなえてくれたのだ。そうに違いない。こうしてはいられない。僕はだんだんうれしくなってきた。
 僕は大急ぎで飯を食い、歯をみがき顔を洗い服を着替え――洋服ダンスにピエロが着るようなものしかなかったので驚いたが――外に飛び出した。
 近未来的なデザインのビル群に向けて、両腕を上げ叫んだ。
「二十一世紀だ!」
 周りの人間が不思議そうな顔で僕を見たが、構わなかった。
「子供の頃夢見た二十一世紀が、やって来たんだ!」


 最初はとまどったものの、僕は徐々に新世界に慣れていった。大学の校舎はソフトクリームのような形になり、黒板とチョークはなくなり、代わりに壁一面に文字や図形が描かれた。教授が棒でつつくと、DNAの構造図が回転しながらのびていくのだ。
 夢だったのだ。あの薄汚れたビル群や、古びた講堂の方こそ、嘘だったのだ。あんなものが現代社会であるはずがない。
 二月三日、僕の誕生日がやってきた。
「今日卓也の誕生日ね。何が食べたい?」
 と母から聞かれて、僕は少し迷った。あれから、お米を食べていない。朝昼晩パンやシチューやサラダが続き、いい加減欧米の食事に飽きてきた。この二十一世紀では和食がすっかり衰退してしまっているようだ。
「すしが食べたい」
「ええ?」母は目を丸くした。「ぜいたくねえ。でも、まあ、いいわ。なんだかあんた、お爺さんになったみたいね」
 米は高級品なのか? でも、僕は久しぶりに日本食を味わいたいのだ。正月におせちや雑煮を食べられなかったことに、未だに違和感が残っているのだ。いつもはどうでもいいと思っているものも、抜かすと何故か嫌な気分だ。
 その夜食卓に出されたすしを見て、僕は少々落胆した。
「何これ、手で握ったやつじゃないじゃん」
 それは、明らかに機械で成型されたものだった。
「当たり前じゃないの。手で握ったすしなんて、今時あるわけないじゃないの」
「お兄ちゃん、この間から変。すし職人なんて、今いると思う?」妹は眉根を寄せた。
「お父さんが子供の時はすし屋があったな。回転ずしだったら、昭和の終わり頃まであったんじゃないか? 卓也が小さい頃、連れていったと思ったぞ」父はトロをつかんで醤油をつけた。「きっとその時のこと覚えてるんだな」
 回転ずしには何度も行ったが、言うことはできなかった。
 僕は、猛烈に和食が恋しくなってきた。お茶漬け、梅干、味噌汁、焼き魚、肉じゃが……。そういったものは、もう食べられないのか? 他の人間はいい。でも、僕は、去年まで毎日米の飯を食べていたのだ。今までまったく気にしていなかったのに、いざなくなってみると、なんだかとても大事なものが失われてしまったような気がした。


 四月、宇宙船マシューズ号が木星に旅立ち、僕らは父の誕生日を祝った。七月、アメリカが〇.二七秒前の過去に行くことに成功し、僕らは妹の誕生日を祝った。十一月、七基めの宇宙ステーションが赤道上で完成し、僕らは母の誕生日を祝った。ペキンダック風のチキン、チーズシガレット、ベイクドポテト、こしょうがよく効いた、グリルドサーモン……。だがついに、おふくろの味が食卓に並ぶことはなかった。
 大学で、僕は友達以上恋人未満の万理江に言った。
「こんなんでいいのか! 日本文化は、海外文化と融和していくべきじゃないのか? 歌舞伎はどこにいった。相撲はどこに消えた。餅や、白いご飯はどうなってしまったんだ! 日本古来のものが失われて、みんな何とも思わないのか!」
「結城君、この間からなんか変よ。いつから国粋主義者になったの?」
 僕がわがままなのか? 子供の頃夢見た「二十一世紀」が、やって来たのだ。それと引き換えに「日本の味」が失われてしまったことくらい、どうだというのだ。だが、今の僕は、海外に何十年もいて、故郷の味に恋焦がれる人のようだ。
 そして二〇〇二年一月、この世界に来て二度目の正月を迎えた。
 僕はステーキを半分以上残してしまった。
「あら卓也、もういらないの?」
「うん」
 僕はふらりと外に出て、街をさまよい歩いた。一軒一軒、窓から見える食卓の風景をのぞく。だがどこも同じだ。おせちはいったいどこに行ったのか。答は明快だ。僕が元いた世界には、今もちゃんとあるのだ。おせちは、次元の向こう側に行ってしまったのだ。
 遠い昔、おせち料理は人々にとって年に一度食べられるご馳走であったはずだ。しかし欧米の食文化が広まるにつれてその意味は徐々に失われていった。やがてスーパーでも買えるようになり、有り難味が薄れてしまった。僕は、そんなおせちなどやめてビフテキやケーキを食わせろよ、と思っていた。
 だが、それが実現すると、無味乾燥なものになってしまうことを思い知った。
 ビフテキだったら、いつでも食べられる。正月に食って何の意味があるというのか。
 足が棒になるほど歩いて、僕はついにおせち料理を見つけた。
 そこは、アメリカ人かヨーローッパ人か分からないが、外国人のいかにも金持ちらしい家庭だった。ブラインドの向こうから、甘そうな黒豆や、栗きんとんが僕の目に飛び込んできた。子供がはしゃいでいる。おとそで顔を真っ赤にした父親が微笑んでいる。母親が銚子を持って、おしゃくをする。
 伊達巻、お煮しめ、数の子が、重箱の中から僕をさそう。口の中につばがあふれる。
 母親が、僕に気づいた。彼女は立ち上がり、鬼のような形相で窓に歩み寄ってきた。
「ノウッ!」
 僕の目の前でブラインドがぴしゃりと閉じられた。

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