私は読書家である。しかもかなり重度の部類に入る。本というのは当たりはずれが大きい。最近でははずれのものばかりになってしまった。子供の時にはどんな本でもそれなりに感動して読めたものだ。
 このような私でも満足させてくれるような本に出会いたいばかりに、さらにいっそう読書にのめりこむのだが、「これはいい!」と思えるものはほとんどない。
 そんな私が頼りにしているのが古本屋、「時計堂」である。
「いらっしゃい」
 チクタク、チクタク……
 時計堂の名前の由来になっている大きな古時計が、振り子を揺らしながら、大昔から時を刻み続けている。
「なんか、ない?」
 私は本の山に埋もれるようにしてすわっている時計堂の主人に尋ねる。
「困ったね。おもしろい本なんて、そうそう次から次にあるもんじゃありませんや」
「本当に? なんかとっておきのがあるんじゃない?」
「やれやれ……」
 主人はめんどくさそうに立ち上がりながら本棚の中から一冊の本を引き抜いた。
「これはね、ある人物の日記なんだ。中にかなり物騒なことが書いてあってね。誰にも売らないって約束でゆずってもらったんだ」
「それを本棚に置いてるってのはどういうわけだい?」
「ははは。中を見りゃ分かるが、こんなの買ってくやつはいないよ。もしそれでも欲しいって人がいたら、譲ってやってもいいと思ってね。正直言って私も持ってるのが嫌なんで」
 それでは捨てればいいではないかという問いが浮かんだが、私同様本好きである主人には愚問であろう。
「その人物ってのは誰だい? なんて聞いてもきっと答えてくれないんだろうね」
「あるでっかい会社の社長さんだったらしいんだが……。私も客の素性はあまり聞けないんでね。今じゃどっかに身を隠してるらしいよ」
 時計堂主人が薦める本に、はずれはない。
「じゃ、ちょっとだけ読んでいい?」
「ああ、どうぞ、どうぞ」
 主人は私に椅子をすすめ、親切にもお茶まで出してくれるのだった。 
 私は古ぼけた本の表紙をめくった。
「なるほど、こりゃ誰も買わんな」
 それは手書きで書かれたもので、「本」などではなく、本当にただの日記だった。
 私が日記を読み始めると、主人は私のことを気づかってか、奥の間に引っ込んでしまった。


 三月三十一日

「フワーン!」
「よちよち、どしたの?」
「フワーン!」
「おいで、お姉ちゃまが抱っこしてあげる」
 咲子は妹の美智代を本当によくかわいがる。私の娘、咲子と美智代は腹違いの姉妹で、十三も歳が離れている。
 両方の母親とも、子供を産んですぐに死んでしまい、今は三人暮らしである。
「あのね、みっちゃんね、怖い夢を見たの」
「どんな夢?」
「あのね、天狗のお面をかぶった人がね、みっちゃんのことじーっと見てるの」
 妹の頭をなでる咲子の手がぴたりと止まった。私もまたぎくりとした。
 しかしそれは一瞬のことで、再び咲子の手が動き始める。
「大丈夫よ。お姉ちゃまがみっちゃんのこと守ってあげるからね」
 美智代があの事を知るはずがない。きっと応接間に飾ってある鬼神の面が、美智代を怖がらせ、そんな夢を見させるのだ。
 午後、私は面をはずし、裏庭の焼却炉の燃え盛る炎の中に放り込んでしまった。


 四月一日

 美智代を寝かしつけた後、咲子が私にこんな事を尋ねてきた。
「ねえ、お父様、美智代は天狗のお面というのを見たことがあったかしら」
「ああ、たぶん縁日で見たものが記憶に残っているのだろう。大丈夫だ、何も心配することはない」


 四月二日

 昨日はよく眠れなかった。明日は定例の会を行う日だ。今まではなんとか美智代に気づかれることなく過ごしてきたが、これからもずっと隠し通せるだろうかと思うと不安である。私は美智代だけは巻きこみたくないのだ。


 四月三日

 午前一時、今日もまた私の家の地下室に同志達が集まる。みな天狗の面をつけていて、誰が誰やら分からない。それが天狗であることには特に意味はない。面をつけることによって普段の自分を隠し、また普段の自分から離れることに意味があるのだ。
「では皆さん、これより定例の会を始めます」
 私は厳かに告げた。
 寝台の上には生贄が縛りつけられている。今夜の犠牲者はいつも公園をうろついている浮浪者である。
「では皆さん、御唱和下さい。荒禍津次茅久毛(あらまがつつちくも)よ、贄(にえ)の血によりて、怒りを鎮めたまえ……」
「荒禍津次茅久毛よ、贄の血によりて、怒りを鎮めたまえ……」
 私は刀で男の右脚をすーっと切り裂いた。
「ううっ!」
 両手に力をこめて、男の口を咲子がしっかりとふさいでいる。血まみれの切れめから、黄色い脂肪が見えている。さらに刀をあてると桃色の筋肉が見え始め、やがて白い骨が見えてきた。
 もがく男を何人もの天狗達がおさえつけている。
「どうか我に力を与えたまえ!」
 私は刀を一気に男の胸に突き刺した。


 それからしばらくの間は平凡な日常が描かれていた。そのような記述には興味がない。私はグロテスクな儀式の続きが知りたくて、ぱらぱらとページをめくった。


 五月十日

 ついに運命の日がきた。
「荒禍津次茅久毛よ、贄の血によりて怒りを鎮めたまえ……」
 深夜、いつものように会を催おしていると、突然咲子が大声をあげた。
「美智代!」
 ああ、なんということだ。見ると、扉の隙間から美智代が会の様子を覗き見しているのだった。
「美智代! 逃げるのよ!」
 咲子は美智代の手をひっ掴んで駆けだした。そして、私は自分の口から信じられないような言葉が出るのを聞いた。
「追え」
 天狗達が駆けだした。


 五月十一日

 今夜は特例の会だ。昨日会を行ったばかりなのに今日また会を開くというのは特別のことだ。
 二つの寝台には、さるぐつわをかまされた咲子と美智代が縛りつけられている。
 その後に行われたことは、あまりにも残酷過ぎて私には書き記すことができない。


 日記はまだたっぷりページ数が残っていたが、私はすでにうんざりしていた。
「おーい、ご主人!」
「はいはい」
 私は姿を現した主人に向かって、言った。
「こりゃつまらん。こりゃ駄作だよ。確かにここに書いてあることが真実なら興味深いけれども、こんなのは創作でいくらでも書ける」
「そうですか? あたしにゃ本当のことのように思えるんですがね。なんというか、真にせまっていて……」
「だめだめ、こんなのはだめだよ。せっかく珍しいものを見せてもらったんだが」
 私は立ち上がった。
「もうしばらくしたら、また来るよ」
 私は時計堂の扉を開け、夕焼けが赤く染める商店街へと歩きだした。

「創作ねえ。本当にこれが想像の中のお話だったらどんなにいいか。なあ、おい」
 主人は古時計に向かって話しかけた。
「どれどれ、久しぶりに娘達の顔を拝むとするか」
 うんしょ、と言いながら小柄な主人は大きな時計を壁からはずした。 
 壁に開いた穴の中で、やや大きめの骸骨と、小さな骸骨が、抱き合うようにしてうずくまっているのだった。

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