その発見は全くの偶然だった。
 僕達は大学の夏休みを利用して、織り姫と彦星、そして白鳥座のデネブからなる夏の大三角形や、赤く輝くアンタレスを中心として美しいS字を描くさそり座や、そういった星々を観察するためにキーズビルまで来ていた。
 アメリカとカナダの国境近く、アパラチア山脈とシャンプレーン湖に囲まれたその都市には僕のおじさんが住んでいる。おじさんは星の観察が好きで、僕が天体観測に興味を持ったのもおじさんの影響である。僕はよくおじさんの家に遊びに来ては大小様々に揃えられた天体望遠鏡の中から好きなのをひとつ借りて星空を観察したものだが、大学の仲間を連れてきたのはこれが初めてである。おじさんは快く僕等を迎えてくれた。おじさんの家で一泊した後、僕達はアパラチア山脈の一部、アディロンダック山地の中にあるマーシー山に登った。
 二時間くらい登っただろうか。斜面がだいぶゆるやかになって、平地のようになった所に出た時、カールが息をはずませながら言った。
「もうそろそろ休憩にしないか?」カールは重いリュックと機材をおろし、水筒のコーヒーをふたに注いでごくごくと飲んだ。「腹も減ったし」
 僕達四人はめいめいそこら辺の岩にすわってサンドイッチをほうばった。いい景色だった。僕等のいる所から二、三メートル離れたあたりから草が生い茂り、それがずっと斜面の上の方まで続いている。さらに上の方に目をこらすと木々がまばらに立っているのが見える。
 空はよく晴れていて、雲の量も少ない。今日は星がよく見えそうだ。
「ねえ、ちょっとこっちに来て!」
 リサが急に大きな声を出したので、僕等はびっくりして立ち上がった。リサは草むらから三十センチくらい離れた辺りの地面を指さした。
「なんだい? ただの穴じゃないか」
 と僕は言った。そこには直径二センチほどの穴が開いていた。
「でも、水色の穴なんてあるかしら」
 えっ? と言って、僕等は頭を寄せてその穴をのぞいた。それは確かにリサの言う通り水色をしていた。
「変だな、水たまりかな」
 と僕は言ったが、水たまりが水色をしているというのも変な話だ。マンガじゃあるまいし。それに水たまりにしては小さすぎる。
「よく見てみろよ。こりゃ、空だぜ」とカール。
 僕は目をこらして見つめた。よく見ると隅の方に白いもやもやしているものが見える。……雲だ!
「鏡かな?」と言ってひょいと拾い上げようとしたが、むろんそんなことはできなかった。
 カールは人さし指を穴の中につっこんだ。
「やっぱり穴だぜ」
 穴の向こうに空が見える!? そんな馬鹿な!


 僕達は穴の周りにすわりこんで一時間近く議論していた。
 穴は真上から見た場合と、斜め上から見た場合とで空の見える範囲も違う。しかもそうやって角度を変えて見ても穴の側壁といったものは見えないのだった。
「僕達が地中にいて、地表に開いた穴をのぞいたら、こんなふうに見えるんじゃないかな」
 僕は思いついたままに言った。
「穴の中は奥にいくほど広くなっていて、底に大きい鏡があるんじゃないか?」
 カールは体格ががっしりして根っからのスポーツマンに見えるが、頭もいい。しかしカールの意見はすぐにリサによって打ち消された。
「でも穴に入った光が鏡全体に行き渡るのかしら」
「こりゃあね、ワームホールだよ」
 SF好きのユーリは、いつも突拍子もないことを言う。
「ワームホールって、なあに?」
「遠く離れた二つの場所をつなぐ抜け穴さ。片方の穴に入ると瞬時にもう片方の穴から出るんだ。穴と穴の間に距離はない」
「そんな馬鹿な」
 僕もカールも笑った。
「君達、気がつかなかったかい? 穴から見える空の雲の形と、今僕達が空を見上げて見える雲の形とは、全然違うぜ。こりゃ全く別の場所だよ。僕達はどこか別の地面に開いている穴の外を、こっち側の穴からのぞき見してるのさ」
 カールは穴の上に這いつくばって、首をくねくねと動かしていろいろな角度から穴をのぞいた。そして立ち上がると、空を見上げた。
「そうだな。穴の中の空の方が雲が多いな。確かにどっか別の場所だ」
「あるいは時間的にずれているか」
 僕もユーリに負けじとSF的なことを言ってみた。
「そりゃあり得ないよ。ワームホールの入口と出口では時間が全く同じなんだ」
「いずれにせよ」カールは穴に指を近づけた。「やっぱり掘り返してみよう」
「ま、待ってくれ。これが本当にワームホールだとしたら、いじくらずに保存すべきだ。世紀の大発見なんだぜ」
「じゃ、どうすんだよ」
「こうするのさ」
 ユーリは地面から一センチくらいのちっちゃい石をつまみあげた。
「穴が別の地表に開いているとしたら、どうなるか。よく見ていてくれよ」
 小石が穴の中に落ちていく。しかしそれはスピードを落とし、Uターンしてこっち側に帰ってきた。ポトンと地面に落ちた石を見て、僕達は絶句した。
「な? 石は向こう側では放り上げられた形になるんだ」
「で、で、どうすんだよ、この穴。えっ!?」
 カールは興奮しすぎたせいか、怒ったような口調になった。
「少なくとも僕達だけではどうしようもないな。あとは物理学者に任せるべきだよ」
 物理学者! ユーリの言葉から、僕の頭におじさんの顔が浮かんだ。
「そうだ! おじさんを呼ぼう!」
 僕のおじさんは高校で物理の先生をしている。でも大学教授に負けないくらい博識である。僕はリュックから携帯電話を取り出した。


 おじさんは、星を見るために何度も山に登っているので、年のわりに健脚である。僕たちが二時間かけて登った距離を、一時間半くらいで登る。しかし実際におじさんが来た頃には、すっかり夕方になっていた。
「よう、遅くなったな」おじさんはでっかいバッグを地面に降ろした。
「これを準備してたもんでな」
 おじさんはバッグをぽんぽんと叩いた。
「おじさん、こっちだよ」
 おじさんは今置いたバッグを再び持ち上げると、草むらの方へ歩いていった。そして、ふむふむ、なるほど等と言いながら、バッグの中からいろいろな計測器具を取り出して穴を調べ始めた。
「穴の横の径は二.二一センチ、縦の径は二.四二センチ。……底はないようだな」

 夜になった。今日はもうここでキャンプだと決めていたので、僕達はおじさんが来る前から準備を進めていた。テントを張り、枯れ枝を集め、望遠鏡をセットした。カールが火をおこし、リサがいそいそと夕食の支度をした。夕食はカレーだった。
 夕食が済むと、カールとユーリは早速星の観察に、おじさんは再び穴の調査にとりかかった。
「私はなんと言っても、こと座が好き」
 焚き火に照らされながら、リサが言った。
「オルフェウスの話、知ってる?」
「さあ。ハープの名手だったかな」
 一応いくつかの星座にまつわる話は知っているつもりだったが、リサの好きなこと座の話をおさえていなかったとは。なんという不覚だろう。
「そう。音楽の天才オルフェウスは、泉の精エウリディケと結婚するんだけど、でもすぐにエウリディケは毒蛇にかまれて死んでしまうの。悲しんだオルフェウスは地下の死の国に下りていって、死の国の王プルトーンの前でハープをかき鳴らして妻を返してくれって唄うの。あわれに思ったプルトーンはエウリディケを返してくれるの」
「へえ、ロマンチックだね」
 僕は何本かの枯れ枝を焚き火の中に放り込んだ。弱くなった火が、再び勢いを取り戻した。
「でもそれには条件があるの。死の国を出るまで決して後ろを振り返っちゃいけないって。地上への道は長く、オルフェウスはだんだん心配になってくるの。後ろからついてきているはずのエウリディケの足音が聞こえない。あともうちょっとで地上だという時に、オルフェウスは我慢できなくなって後ろを振り返ってしまうの」
「なるほど、エウリディケは死の国へ逆戻りってわけか」
「エウリディケの幻をおうオルフェウスは、他の女性を近づけなくなったのね。そのため女の恨みをかって殺されてしまうの。息子の死を悲しんだアポロは、息子のハープを天に上げるの。それが琴座」
 せっかくのロマンチックな雰囲気を壊すように、おじさんが僕に声をかけた。
「おい、テッド、向こう側の穴がどこにあるか知る方法が分かったぞ」
「え? 向こう側の穴は地球の裏側にあるんじゃないの?」
 リサがそう言うのも無理はない。こちら側から見ると、向こう側は天地が逆になって見えるのだから。つい地球の反対側の緯度、経度に穴が開いているんじゃないかと錯覚してしまう。しかし実際にはどこに開いていようと同じである。
「来てごらん。穴の中に、星座が見えるよ」


 僕も、リサも、望遠鏡の前に陣取っていたカールもユーリも、我先にと穴の周りに群がった。最初に穴をのぞく幸運を授かったのはユーリだった。
「本当だ。ヘラクレス座が見える」
 ユーリが顔を上げて僕の方を見たので、次は僕がのぞいた。天頂近く、青白い一等星のベガと二等星のアルフェッカを探す。その中間に散らばっている小さな星々の間に、H字形を見いだす。僕の目の前に九つの頭をもつヒュドラと戦う英雄ヘラクレスが現れた。
「テッド! 来てごらん」いつの間にかおじさんは望遠鏡をのぞきこんでいた。「ここから見える星座と穴の中に見える星座を比較すれば、穴の位置をかなり正確に決めることができるはずだ」
 僕とおじさんはテントの中にこもった。
 床に敷かれたシートの上に、地図と星図が広げられ、それとコンパスとノートが置かれている。僕はそれらを懐中電灯で照らしていた。
 昔の人は航海をしている時に星を見て自分達の位置を知った。いや、時刻だったかな。方角だったかな。よく覚えていない。
 おじさんのノートにはすでに大量の計算式が連なっていた。
「分かったぞ! 意外と近所だ。ミシガン州のグレーリングの近くだ」
 おじさんはバッグをひっつかむと、テントから出て例の穴につかつかと歩いていった。僕も懐中電灯を持って慌ててあとを追った。僕が行くより早く、他の三人も集まっていた。
「向こうの正確な位置が分かった。そこでだ」
 おじさんはバッグの中から小さな機械を取り出した。
「この発信器を穴の向こう側に落とす。そうしておいて現地に赴くわけだ。そうすれば着実に穴を探し当てることができる」
 おじさんは発信器をつまみ、ポトンと落とした。一回め、うまくいかない。発信器はこちら側に戻ってきてしまった。二回め、今度はうまくいった。発信器はどうやらうまく向こう側の地面に落ちてくれたようだ。
 僕等はしばらくの間、無言だった。誰の顔にも期待と、その反面今日一日体験した出来事のための疲労が色濃く浮かんでいた。
 そして僕達は一晩泥のように眠り−−カールは興奮してよく眠れなかったようだ−−次の日の朝、山を降りた。


 助手が一人必要だというので、僕は真先に立候補した。リサも行きたがったが、なにしろ旅行には先立つものがいる。むろん僕の分の旅費はおじさん持ちだ。
 ミシガンに着き、ホテルにチェックインすると僕達は早速目的の場所に向かった。北緯四十五度、西経八十五度。経度は異なるものの、緯度はマーシー山で発見した穴の位置とほぼ一致していた。
 おじさんは黒い箱を持って、僕はおじさんの重いバッグを持ってそれこそ足を棒にして歩き回った。その黒い箱は受信器で、発信器の十キロメートル以内に近づくとその位置を赤い点としてレーダーに映し出すのだという。スパイ映画や刑事ドラマなんかによく出てくるやつだ。しかしおじさんの受信器は沈黙したままである。
「おじさん、その機械、壊れてるってこと、ないよね?」
「大丈夫だ。発信器にしろこいつにしろ、事前に入念にチェックしてあるんだ。電池だって切れてない」
 だがしかし、グレーリングからゲーロードまで足を延ばしてみたのに、全く穴は見つからなかった。もうとっぷりと日も暮れようとしていた。おじさんはハアッとため息をついた。
「よし、明日はヒギンス湖とホートン湖の辺りを調べてみよう」
 僕達はヒッチハイクしたり、歩き回ったりして三日間探し回ったが、とうとう穴を見つけることはできなかった。
「やっぱりこういったことは国家の大プロジェクトに任せるべきだよ。僕達だけでどうなるわけでもないんだ」
 僕は弱気になって言った。
「いやいや、国に独占させるのはまだ早い。せっかくワームホールらしきものを見つけたんだ。その先がどこにつながっているのか、わしらの目で確かめたいと思わんか? 今回のはやり方がまずかっただけだ。もっといい方法を考えるよ」
「いっそのこと、僕達の体が小さくなって、穴をくぐり抜けられたらいいのにね」
 おじさんはあごに手を当てて少し考えこんだ。
「テッド、それは結構いい考えかもしれんぞ」


 僕は美しい草花が咲き乱れる野原にすわり、鹿や小鳥を相手にハープを奏でている。あまりの美しい音色に動物達はうっとりと聞き入っている。空は晴れ渡り、今日も星がよく見えそうだ。と、突然動物達はなにかにおびえ、蜘蛛の子を散らすように駆け出していった。僕が足元を見るとすでにそこには野原はなく、僕は空の中に立っていた。いや、浮いていたというべきか?
 僕の前方に黒々とした穴が上向きにポッカリと口を開けているのが見える。その穴は人一人がやっと入れるくらいの大きさで、よく見ると縁がかすかに、うねうねとうねっていた。僕は穴の縁に両手をかけ、左足からそろり、そろりと入っていく。
 穴の中は立って歩けるくらいの広さで、斜め下向きにずっと続いている。僕は用心しながらゆっくりと降りていった。
 しばらく行くと穴は急に広くなって、大きな扉が道をふさいでいた。扉の脇に鎧を着た門番が立っている。それはユーリだった。
「テッド、ここから先に進んではだめだ。悪いことは言わない。引き返せ」
 僕はハープで悲しい音色を奏でた。
「ああ、なんという悲しい響きだ。いいだろう。先にお進み」
 ギーッという嫌な音をたてて扉が開いた。僕はその中に入っていく。
 そこはあちこちに溶岩の池がぐつぐつと煮え立っている地獄で、土の中から上半身だけ体をつきだしている巨大なカールが、その手の中に握りしめたリサをいまにも握りつぶそうとしていた。
「ま、待ってくれ、カール。リサを返してくれ!」
「だめだ。穴の秘密を知った者は生かして帰すわけにはいかん」
 僕はリサへの募る思いをハープで表現した。カールの目から涙があふれた。
「そうか、いいだろう。ただし条件がある。地上に出るまで決して後ろを振り向くんじゃないぞ」

 僕は暗い道を地上に向かって歩いていく。随分と歩いたような気がするが、未だに出口が見えない。
 しかしどうも変だ。さっきまで聞こえていたリサの足音がいつの間にか聞こえなくなっていた。
「リサ、そこにいるのか」
 返事がない。本当に後ろをついてきているのだろうか。僕の胸の中で不安が風船のように膨らみ、破裂しそうになる。そんな僕の目に、ようやく穴の出口が見えてきた。暗闇にポッカリ開いた穴から青空が見えている。まるで空の一部を丸く切り抜いて、そこにはりつけたみたいだ。
 僕は汗びっしょりになっている。もし地上に出た時、リサがいなかったら……。僕は後ろを振り向きたくて仕方なくなる。僕の頭に高校の時の先生の言葉が甦る。
「後ろを振り返っちゃだめだ。ただ前へ前へと進むんだ」
 もしも後ろを振り返った時、リサが「キャーッ」という叫び声をあげて真っ逆様に落ちていったらと想像すると、後ろを振り向くこともまた恐怖である。相変わらずリサの足音は聞こえない。かわりにどっかで聞いたことがあるような音が聞こえてきた。
 リ、リーン。リ、リーン。
 その音はだんだんと現実味をおびていく。
 リ、リーン。リ、リーン。
 リ、リーン。リ、リーン。
「うーん」
 僕はまぶたをごしごしとこすり、ベッドの横にある置き時計をひっつかんだ。まだ五時だ。
「なんだよ、まったく」
 僕は電話の受話器をとった。
「テッド、やっと手に入ったぞ。もう一度山に登るぞ。この間の友達を連れてすぐ来い」
 ガチャンと電話が切れた。おじさんはだいぶ興奮しているようだった。
「まったく。何が手に入ったって」
 僕はいきなり頭がハッとして、ベッドから飛び起きた。


 僕等は再びマーシー山の穴の所に集まっていた。夏休みももう終わりに近づいた頃のことである。
「いいかい、これは超小型ロボットだ」
 おじさんは一センチくらいの小さい丸まっちい銀色のものを僕達に見せた。
「最近はロボットの小型化が進んでいてね。これだけ小さいのにちゃんとカメラとマイクが内蔵されているんだ。カリフォルニア大学でナノテクノロジーの研究をやっているザイデン教授からやっと借りることができてね」
 おじさんはそのちっちゃいかわいいやつを地面にちょこんと置いた。
「こいつを向こう側に送り込んで、向こうの様子を見てみようってわけさ」
 おじさんは穴の側にゴテゴテと積み上げられた機械の山の一つをいじった。それは僕等がおじさんに背負わされて運んできたものだ。
 するとロボットが動きだした。ロボットはその下部の粒のような車輪を転がして穴に向かって直進し始めた。おじさんがパチンとスイッチを入れるとモニターに僕等の足が映し出された。ロボットのカメラの映像だ。
 穴の正面に立っていたカールが慌ててよけた。ロボットはどんどん穴に近づいていく。僕は自分ののどがゴクリと鳴るのを聞いた。
 ついにロボットは穴の中に落ちた。そして……
「ん? どうしたんだ?」
 おじさんはモニターをポンポンたたいた。モニター画面は白黒の砂嵐のような画面になってしまった。マイクの方はちゃんと音を拾っているようで、ロボットが前進するジーッという音がスピーカーから聞こえてくる。しかし突然それはジジジという音に変わり、途絶えてしまった。
 さらにポンポンとたたくと、ようやくモニターは普通の画面に戻った。
 そこは一面の草むらだった。ロボットの視点で見ているので草の一本一本が異様に背が高い。まるでジャングルの中にいるかのようだ。
「おじさん、これ、動いてないんじゃないの?」と、ユーリ。
 確かに、画面の風景はずっとそのままで、ロボットが前進する気配はない。おじさんは機械をいじくり回したが、ロボットはビクともしないのだった。
「なんてこった。壊れてしまった!」


 僕等は困った。たったこれだけの情報で向こうの位置を推測するのは難しい。ロボットがなぜ壊れたかは原因不明である。おじさんの説によるとワームホールを通った時の時空の歪みの影響ではないかとのことだが、それじゃ僕にはさっぱり分からない。
 僕達はとにかくモニターを監視し続けることにした。何か画面に変化が現れないとも限らない。一時間ずつ交代交代でモニターを見張る。今はユーリがその番をやっていた。僕とおじさんはあーでもない、こーでもないと議論を戦わせていた。
「例えばだな、草のそよぎ方だって重要な情報だ。もし年がら年中同じ方向にそよいでいたとしたら、それは偏西風帯か貿易風帯にあるといえる」
「年がら年中って、そんなに長い間観察するつもり?」
「ああ、もちろん。わし一人でもやるさ。それぐらい重要な発見なんだ」
「でももし偏西風帯か貿易風帯にあると分かったとしても、範囲が広すぎるよ」
「テッド、何事も前向きに考えないとだめだよ」
 カールとリサは無邪気にも穴を使って暇つぶしをしていた。立ったまま石を穴をねらって落とす。石は向こうで放り上げられ、今度はこっちに向かって落ちてくる。そして今度はこっち側で放り上げられ、また落ちる。彼らの試みがうまくいけば−−空気抵抗を無視すれば−−石は永遠に振り子運動を繰り返すはずである。しかし石はこっち側か向こう側の地面に落ちてしまい、多くても三往復くらいしか成功しないようだった。
 突然、ユーリが「あっ、鳥だ」と言った。
「なんだって!」と大声を出して、おじさんは走った。
 僕も後を追った。スピーカーから、チチチッという音が聞こえた。
「どこだ、どこに鳥がいる」
「だめだよ。もう飛んでいってしまった」
 モニターには草しか映っていなかった。しかし確かにそこに何かが降りたらしく、草が少し曲がっている。
「どんな鳥だったんだ」
「白い……鳥だよ」
「羽根の形は? くちばしは? 顔つきはどんなだった?」
「分からないよ。一瞬のことだったんだ」
 おじさんはバッグの中から分厚い本を取り出し、次々と乱暴にページをめくってはユーリに見せた。それは鳥の図鑑だった。
「これか? それともこれか? えっ?」
 おじさんはすごい怖い顔になっていた。反対にユーリは、大学生のくせに泣きそうな顔になった。
 ハアッとため息をついて、おじさんは首を横にふった。
「鳥の種類から地域が分かったかもしれないのに」
 僕は取りなすように言った。
「まあまあ、そのうちまた何か映るかもしれないからさ」
 僕等は根気よく待った。おじさんは他に動物図鑑と昆虫図鑑を持ってきていた。昆虫だったら割とよく現れるかもしれない。しかし、その日一日待って見ることができたのは、ユーリが見た鳥一羽だけだった。
 夜、僕は寝つかれずに寝袋からもぞもぞと這いだした。テントは一つしか持ってきておらず、その中ではリサが眠っている。他のみんなは外で寝袋にくるまって寝ていた。横を見るとカールとユーリがスヤスヤと寝息をたてている。暗闇に光が見えた。
 おじさんが懐中電灯を片手に穴を入念に調べているのだった。
「よう、どうしたテッド。眠れないのか」
「何か分かった?」
「いや、別に。穴は特別変わった所もなく、普通の穴だ。ただ向こうに夜空が広がっているってことを除けばな」
「どうせならもっと大きな穴だったら良かったのにね」
 おじさんは目を丸くした。
「とんでもない。これでもずいぶんと大きな穴だぜ。ホイーラーって知ってるか?」
「さあ。人の名前?」
「ホイーラーはごくごく微小な空間では、ワームホールができる可能性があることを発見した。プランク長……十のマイナス三十五乗メートルの空間では、空間のなめらかさが失われ、ねばりが生じるんだ。そいつがこう、グーッとくびれて、そこにあぶくとトンネルができるんだ」
「あぶく?」
「そう。ミニ・ブラックホールみたいなもんさ。そいつが空間と空間をつなぐトンネルを作るんだ。でもそいつは不安定で、現れては消え、現れては消えを繰り返してるんだ」
「そこいら辺に、ワームホールがいっぱいできたり消えたりしてるってこと?」
「ああ。でも十のマイナス三十五乗メートルの世界の話だがね。こんなにちっちゃいんじゃ素粒子だってくぐり抜けられない。そこへいくとこいつは直径が二センチもあるんだ。しかも消えもせずに安定して存在している。こりゃノーベル賞もんだよ。でもそのためにはこいつがワームホールだってことを証明しないと。そのためには綿密な調査が必要だ」
 でも僕は、何故だかこの穴はそっとしておいた方がいいような気がしてきた。人類は未知の深淵を覗きこむ勇気があるのだろうか。今の人類に、どこまで未知の領域を侵す権利があるのだろうか。自然の神秘をいたずらにいじくりまわし、加工し、それによって生活を豊かにする。今までそうしてきたからこそ、科学が発展してきたのだということも知ってる。でもそこには手痛いしっぺ返しが待っていないと、どうして言えるだろう。二酸化炭素の増大は? オゾンホールは? 動物の乱獲による、いくつかの種の絶滅は? そして……原爆は?
 もしも穴の向こうがとんでもない世界だったら、その向こう側に進む勇気が、そして権利が、僕等にあるのだろうか。


 二日たち、三日たった。相変わらず情熱に燃えているのはおじさんだけで、僕等はすっかり退屈していた。みんなかなり、汗くさくなっていた。僕等はいいが、リサがかわいそうだ。食糧も底をついてきたし、いずれにせよ一度山を降りなければならなかった。それにもう夏休みも終わりだ。そんなふうに僕等があきらめかけていた時に、実に意外なことが起こったのだ。
「みんな、ちょっと来て!」
 モニターの見張り番をしていたリサが大声で言った。みんなリサの周りに集まった。
 カールがモニターを見て言った。
「なんだよ、いつも通りの草じゃないか」
「シッ!」
 リサはスピーカーを指さした。
「……ほんとに……か」
 スピーカーから小さいが、人の声が聞こえた。おじさんはアンプのボリュームのつまみを回した。
「ああ、間違いないよ」
 僕等は唖然とした。なんとそれは、カールの声だったのである!
「私が最初に見つけたのよ」
 今度はリサの声だ。僕の方を振り向いたリサの目は、まん丸に見開かれていた。
 何人かの足音が近づいてくる。そしてそれは突然止まった。どうやらもうロボットの間近まで近づいているらしい。声は前よりもよりはっきりと聞こえた。
「やっぱりこれはワームホールだよ」
 ユーリの声だ。しかも彼らの目の前にはワームホールがあるらしい。その時当のユーリは突然立ち上がり、ふらふらと歩いていった。
 しばらく間があって、今度はおじさんの声がした。
「本当だ。確かに穴の向こうに青空が見える」
「ね、すごいでしょ。おじさんは物理の先生なんだから、何か分からないかと思ってさ」
 僕の声だ。向こうのおじさんもまた、物理の先生であるらしい。
 ザッ、ザッ、と草をかきわける音が聞こえる。
「おーい、ちょっと来てくれ!」
 と向こう側のカールの声がかなり大きく聞こえた。ロボットのすぐ側だ! 僕等はいたずらをして隠れていた子供が見つかったかのようにビクッとした。
「なーに、これ」
 と向こう側のリサが言った。モニターに映る景色がスーッと上昇していく。僕等はみな同じ事を願ったに違いない。ロボットを反転させて、カメラを彼らの方に向けてくれることを。そして彼らの顔を映してくれることを。しかしカールはロボットを握ってしまったらしく、風景が真っ暗になった。次に明るくなった時にはロボットは下を向いてしまっていた。だがしかし、そこに映っていたのは、ショートパンツからはみ出した、ごつごつとして、はっきりとカールのだと分かる足だった。思わずカールは自分の足と見比べた。次の瞬間、モニターの風景がぐるぐる回転し、どさっという音がし、そして横になった草を映し出した。
「落ちた……」
 と僕は思わずつぶやいた。
「よし、とにかくひきあげよう。いろいろと持ってこなくちゃならんもんがある。明日また来よう」
 と向こう側のおじさんが言った。そしてがやがやと話し合う声と足音とがだんだんと遠のいていき、再び静寂が戻った。
 僕等はしばし呆然としていた。ユーリだけが草むらの中にふみこんで、「どこだ。どこだ」と言いながら、がさがさと草をかきわけていた。
「ロボットはこっちの方に向かっていたはずだから……」ユーリはふいにかがみこんだ。「あった。間違いない。なにが北緯四十五度、西経八十五度だ!」
 僕等は草をかきわけて、ユーリのそばに行った。
 僕はその時になって初めて、おじさんの計算が大きな誤差を含んでいたことを知ったのである。草むらの中に、フライパンくらいの小さな空き地があった。僕はユーリがしているように草の中にかがみこんで、その小さな空き地を横から見た。それはこの三日間僕等があきるほどながめた風景と、全く同じものだったのである。


 帰ると言いだす者は、誰もいなかった。明日になれば、また彼らがやってくるのだ。みんな落ち着かない様子だった。夜になって夕食がすんでしまうと、やることがなくなってますます落ち着かないのだった。
「俺、ちょっとその辺散歩してくるわ」
 とカールが言って歩きだすと、ユーリも、リサもそれについていった。気がつくと、僕とおじさんだけになっていた。
「テッド、ちょっとおいで」
 おじさんは煙草に火をつけながら言った。僕はおじさんと並んで、寝袋の上にすわった。
「キップ・ソーンのタイムマシンは知ってるかい?」
「なに、それ」
 おじさんはフーッと煙草の煙をはきだした。
「物理学者、キップ・ソーンは実に妙ちくりんなタイムマシンを考えたんだ。ワームホールの片方の穴を非常に速いスピードで振動させ続けると、タイムマシンができるって言うんだね」
「え?」
 僕にとってはワームホール自体が不思議なものなのに、それがタイムマシンになるというのはもっと不可解な話だった。
「非常に速いスピードで動いている物体は、静止している物体に比べて、時間のたち方が遅くなるんだ」
「あ、知ってる。光速に近いスピードのロケットで宇宙を旅して帰ってくると、地球では何百年もたっているんだろ?」
「そう。それと同じように、非常に速いスピードで振動している穴の方が、時間のたち方が遅くなるんだ。それを使って時間旅行をする。振動してる方の穴が十年たつ間に静止してる方の穴が二十年たっているとしよう。穴をくぐって出てみたら、そこは十年前の世界ってわけさ。例えば振動する方をハワイかどっかに作って、静止の方をアメリカに作っておけば、一度ハワイに行って穴をくぐれば十年前のアメリカに出られるわけさ」
「でもそりゃ変だ。ワームホールの入口と出口では、時間が全く同じなんでしょ?」
 それは最初に穴を発見した時に、ユーリが言っていた事の受け売りだった。
「どうして二つの穴の間に十年の差ができるのさ」
「いや、差はできない。できないからこそ、十年前のハワイの穴から入ると十年前のアメリカに出るという、変てこりんなことが起こる。これは逆にワームホールの入口と出口では時間が全く同じだという不思議な性質を利用しないとできないことだからね。勘違いするなよ。アメリカの方から入ってハワイに出ても、現代のハワイに出るだけだからな」
 頭がごちゃごちゃしてきた。おじさんの話は難しすぎて、時々ついていけなくなることがある。
「……とにかくおじさんが言いたいのは、ロボットが行った先は過去かもしれないってことだね」
「ああ。こっちの穴が振動してればの話だがね」
「そんなわけないよ。僕がおじさんを呼んで、おじさんが来たのは夕方だったじゃないか。昼間見た限りでは、向こうも昼だったみたいだよ。それにカールはロボットなんか見つけなかった。しゃべってたことも僕の覚えてる限りでは全然違ってたよ」
「それにな。わしは穴を精密に調べたがピクリともしてなかったよ。第一キップ・ソーンのワームホールは二つの穴がある程度離れた場所にあることを前提にしている。場所が同じで離れた時間をつなぐワームホールなんて、聞いたこともないな」
 僕等はしゃべり疲れて、ちょっと黙った。そしておじさんは、二本めの煙草を吸い付けながら言った。
「なあ、テッド。お前もやっぱり、"そう"思うか」
「おじさんもやっぱり、"そう"思う?」


 次の日、僕達は朝からやきもきしながら、彼らが来るのを待った。彼らがやってきたのは昼頃だった。複数の足音と、なにやら話し合う声が聞こえ、それがだんだんと近づいてくる。僕等はてっきり、彼らはまっすぐ穴の方へ向かうものと思っていた。
「で、カール。その変なものというのはどこにあるんだ」
 これはおじさんの声だ。
「ああ、こっちだよ。一見おもちゃみたいなんだけど、車輪なんかがすごく精巧なんだ」
 チャンスだ。彼らはまずロボットを見たいらしい。ザッ、ザッ、という草をかきわける音。僕等はモニターをくいいるように見つめた。
「あった。これだ」
 カールの声がはっきりと聞こえる。
「ほーう、どれどれ」
 風景がゆっくりと上昇していく。頼む。今度こそ顔を映してくれ。カメラがゆっくりと回転し、そしてついに、向こう側のおじさんの顔を映した。
「わっ!」
 ユーリが−−つまりこっち側のユーリが−−大声をあげた。おじさんの顔がアップになった。そのひたいを見た時、僕等は唖然とした。カメラをのぞきこんだカールの顔もまたモニターに映しだされた。
「ば、化け物だ」
 こっちのカールが尻餅をついた。
 確かに向こう側の人物は、こっち側の本人達とそっくりなのである。ただし、ひたいを除けば。
「へえ、確かにおもちゃじゃなさそうだね」
「穴となにか関係があるのかしら」
 ユーリも、そしてリサまで!
「とにかくこれはとっておこう」
 と、向こうのおじさんが言うと、カメラが下向きになった。おじさんのかばんがアップになり、だんだん近づいてくる。ジーッとジッパーが開けられ、ついにその中へ。
 再びジーッという音がすると、風景が真っ暗になった。スピーカーからまだ何か聞こえていたが、もう関係なかった。おじさんがするより早く、僕は思わずモニターとアンプのスイッチを切っていた。


 僕等は協議の結果、穴を埋めることにした。山を降りる時、誰も口を開こうとしなかった。この四日間の疲労よりも、僕等が見てしまったものへの恐怖が、僕等を支配していた。
 その後、なんとなく僕等の間で、その事を口にしないことが暗黙の了解となったようである。あんなものは夢だ、忘れちまえ、と僕なんかも思う。やはり僕等には、向こう側に突き進む勇気がなかったのだ。
 おじさんが言っていた。宇宙が生まれたばかりの火の玉だったころ、ビッグバンを起こし、僕等が住む宇宙以外にも、大量の宇宙が発生した。宇宙同士はワームホールで結ばれた。そのうちの一つがあの穴ではないだろうかと。あの穴の向こうは僕等の世界とは全く別の世界、別の宇宙ではないだろうかと。
 今思い返してみてもそう思うのだ。
 僕等の宇宙と全く似たような歴史を持ち、僕等の地球と全く同じような地球が生まれ、全てが僕等の宇宙とそっくりでありながら、だけどどこかちょっとだけ違う。そういう宇宙を見てしまったのではないだろうか。

 なにしろ、驚くべきことに、彼らのひたいには目がなかったのだ。つまり彼らの顔には、目が二つしかなかったのである!

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