その夜の剛造は上機嫌だった。課長の剛造は、上司である部長とそりが合わなかった。
 その部長が子会社に出向することになったのだ。今日は部長の壮行会で、部全員で居酒屋で飲んでいた。酔っぱらった剛造が必要以上にはしゃいだせいもあって、座は大学のコンパのようになってしまった。
 なんのはずみか、いつの間にかみんなの秘密の打ち明け大会になっていた。
 まじめに秘密を打ち明けていたのは最初の二、三人だけで、あとは、やれ、「僕、実はホモなんです」とか、「実は宇宙人なんです」とか、そんな悪ふざけになった。
 そんな雰囲気にどうしても馴染めない人間が一人いた。入社三年目の岡田である。


 やー、やー、お疲れさん、お疲れさんと解散した。剛造は岡田と同じ方向だったので、二人でタクシーに乗った。
「おい、岡田! お前まだ秘密を告白してなかったな」
 顔を真っ赤にした剛造は、人指し指を岡田の鼻先につきつけた。
「しゃべれ」
「何をですか?」
「だからっ! 秘密だよ、秘密!」
「ありませんよ、そんなの」
 岡田は、参ったなあという顔をした。
「ないことないだろ。お前だけしゃべらないのはずるいぞ。言え!」
 こういう時の剛造がしつこいことは、岡田も良く知っていた。
「じゃあ言いますよ。僕、四次元から来たんですよ」
 剛造はあきれたという顔をした。
「お前なあ、もっとましな嘘をつけ」
「嘘じゃありませんよ。これ、みんなには言わないで下さいね」
「あのな、確かに俺はお前みたいに大学院出てないよ。でもな、四次元と三次元の違いくらいは分かるよ。お前はどっから見ても三次元の人間だよ。あとの一次元はどこ行った」
「もちろん、変換が必要ですよ。じゃあ、分かり易いように三次元と二次元の関係で説明しましょう。例えば、テレビの画面は二次元だと言えますよね。課長がそこに入りたいと思ったら、カメラで撮って、テレビに映ればいいんです。それで、二次元に入ったことになります」
「なんだそりゃ。全然分からんぞ」
「しょうがないなあ。じゃ、てっとりばやく証拠を見せましょう」
 岡田は鞄の中をもぞもぞと探った。
「お前なあ。なんでそんなにムキになるんだ? お前が本当に四次元から来たのなら、そういうことは、何としても秘密にしようとするんじゃないか?」
「課長がしゃべれって言ったんじゃないですか!」
 元来生真面目な岡田は、こういう時に変にムキになるところがあった。
「これを見て下さい。これは"ワープ装置"です」
 岡田の手の平に黄色の半球型の物がのっていた。半球の頂上にボタンのようなものが突き出していて、また頂上と底面の真ん中位の位置に、黒い円盤状のものが二つ、羽根のように円の半分を外側に突き出している。
「ワープはご存じですか?」
「バカにすんな! それぐらい知っとるわい。宇宙船が"ワープ!"っつって他の場所に行っちゃうんだろ?」
「……まあ、そんなところです。要するに空間上の離れた二点間を結ぶことです」
「それと四次元とどう関係あるんだ?」
「四次元空間上で、三次元空間をねじ曲げて、離れた二点をくっつけてしまうんです」
「またわけの分からん事を言っとるな」
「それじゃまた、三次元と二次元の関係で説明しましょう」
 岡田はポケットからハンカチを取り出した。
「いいですか? このハンカチが二次元空間だとします。僕達がいるのは三次元空間です。ここを、A地点とします」
 岡田はハンカチの端をつまんだ。
「そして、ここをB地点とします」
 もう片方の手で、反対側の端をつまんだ。そしてハンカチを曲げて端と端をくっつけてみせた。
「これを一次元高いレベルでやるのがワープです。まあ、正確には超空間ワープって言うんですが」
「分かったような、分からんような説明だな」
「じゃ、実際にやってみせましょう。この装置を、A地点にあたる場所にセットします」
 岡田は、シートの上に広げたハンカチの上に、装置を置いた。
「次につなぐ先、つまりB地点の方角と距離をセットします」
 二つの円盤はどうやらダイヤルらしい。それをくるくる回した。
「そしてボタンを押します」
 カチッとボタンを押した。
「それで?」と剛造が尋ねると、岡田は装置を横にどかした。
「いいですか? よく見てて下さい」
 岡田は人指し指をハンカチに押しつけた。指はそのままハンカチの中に飲み込まれた。
「わっ!」
 いきなり剛造の鼻先の空間から指がニュッと現れ、鼻をちょんとついた。
「解除する時は、もう一度ボタンを押します」
 カチッとボタンを押し、さっさとハンカチをかたづける。
「へえー、おもしろい手品だな」
「手品じゃありませんって!」
 しばらく押し問答をしているうちに、タクシーは岡田の家の前に着いた。
「それじゃ、課長、お疲れさまでした」
「ああ、お疲れ」
 岡田が降りてタクシーが走りだした時、剛造はふと足元を見た。ワープ装置が落ちていた。


 翌朝、剛造がトイレに入っている時、背広のポケットがもっこりふくらんでいることに気がついた。もぞもぞと中の物を取り出すと、ワープ装置だった。
 しばらく眺めていた剛造だったが、「試してみるか」という気になった。
 便器から腰を浮かせ、ドアに装置を押しつけた。
「これでいいのかな?」
 二つのダイアルの目盛りは、いずれも0を指していた。几帳面な岡田が、手品が終わった後に0に戻しておいたのだ。
 ガチャッ。
「わっ!」
 突然、トイレのドアが開いた。驚いた剛造が手を引っ込めたひょうしに、装置が後ろに放物線を描いて落ちた。
「キャッ!」
 剛造の娘の良子が声をあげ、すぐさまドアを閉めた。
 装置がボタンを下にして便器の端に当たった時、「カチッ」という音がした。
 装置はそのまま便器の中にポチャンと落ち、トイレットペーパーの下に隠れてしまった。
「バカッ! 声をかけずにいきなり開けるやつがあるか!」
「お父さんこそちゃんと鍵かけてよ!」
 全くもう、と思いながら周りを見回す剛造だったが、装置はどこにも見つからない。
「まあ、いいや」
 ドジャーッと水を流した剛造がドアを開けた時、そこに広がる風景を見て唖然となった。なんとドアの向こう側もトイレなのだ。
 鏡でないことは、左右が逆になってないことから分かる。
 恐る恐る向こう側のトイレにふみこんだ剛造がふり返ってみると、やはり反対側はトイレなのだ。
 しかも不思議なことにというか当然というか、外側に開いたドアは、こちらに入ってもやはり向こう側に開いているのだった。
 何度も行ったり来たり、ドアを開けたり閉めたりを繰り返し、あげくに壁をどんどん叩きながら、「おーい! 出してくれえ!」と叫んだが全て無駄で、剛造は疲れて便器にすわりこんでしまった。
「そうだ。そのうちに、良子が戻ってくるに違いない。そして外からドアを開けた時に、引っ張り出してもらえばいいのだ。そうさ、そうに決まっている」
 だがしかし、起こった現象はどうやら剛造の理解をはるかに超えた複雑なものであるらしいことが、身にしみて分かってくるのだった。
 なにしろ一時間待っても二時間待っても、ドアが開かれる気配は全くなかったのだから。

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