夕暮れの散策 (2003.11.1)

 目的地も決めずにぶらりと出歩くと、気晴らしになるそうだ。昨日、久しぶりにそれをやってみた。私は自分がどの辺に住んでいるかを、ネットワーク上に公開したくないので、以下の地名はすべて仮名である。

 駅前の薬局で風邪薬を買う。咳止めの薬を買おうと思っていたのだが、熱、咳、鼻水の三つを鎮めるものがあったのでそれを購入した。どうせなら鼻水も止めてもらったほうがいい。

 駅の路線図を見て、どこにしようかと迷う。そうだ、獅子頭に行ってみようと思う。私が獅子頭に住んでいたのは、ずいぶんと昔のことだ。電車に乗ると、思ったよりも混んでいた。進むに従って混み方が激しくなったので赤鬼眼で降りてしまった。金を払ってストレスを買ったのでは割に合わない。気晴らしが目的なのだ。赤鬼眼から獅子頭までの電車賃は無駄になった。どうして駅の精算機は、足りない分を請求するのに、余った分を返してくれないのだろう、などと思う。

 散歩は気晴らしになるが、夕方の散策はかえって良くないそうだ。心を憂鬱にするという。しかし、それはそれで独特の風情があると思う。駅前には様々な店がある。なお、赤鬼眼に来たのは初めてである。どうせなら何もない田舎がいいのだが、出るのが遅すぎた。次は、もっと早い時間に出発し、次々に乗り換え、さびれた場所に行ってみたい。

 私が行ける店は限られている。スーパーやデパートには普通に入れる。吉野家や松屋にも入れる。赤鬼眼にも松屋はあった。松屋はどこにでもあるものだ。チェーン店だから当たり前か。レストランには入りづらい。昔獅子頭に住んでいた時、一人でイタ飯屋に入ろうとしたら、店員が「お一人ですか?」と言いながら呆気にとられたような顔をしたので、赤面して退散したのを覚えている。ああいう店は一人で入るもんじゃないということを、知らなかったのだ。パチンコはやらない。とりあえずゲームセンターに入ってみた。競馬やルーレットなどコインを賭けるゲームしかなかったので何もせず出る。もう一軒ゲーセンを見つけたので入った。あまりやりたいものがない。シューティングを一回だけやった。やっぱり最近はこういう、バカみたいに大量に弾を撒き散らすものしか人気が出ないのかあ、などと思いつつ。

 人があまりいない所を求めてさまよう。どこに行っても人間がたくさんいる。オヤジ達が横に広がって、自分の前をゆっくり、ゆっくり歩いている。その脇を抜けようとすると途端に後ろから自転車がチリンチリンチリン! これでは気晴らしにならない。

 しばらく歩いて、やっと人がまばらな場所を見つけた。住宅街の細い路地を少しうろついた。だが、闇が迫り、足も疲れてきたのでそこで終了とし、引き返すことにした。

 帰る途中、骨組みだけの小屋がたくさん建っていて、その下に若人が集い、ワイワイガヤガヤやっていた。札を見ると安寿厨子王大学とある。どうやら大学祭らしい。入り口には風船が大量に飾られている。ああ、もうそんな季節かと思う。昼間見るとなんという事もないが、夜こういう風景に出くわすと奇妙である。

 電車は行きも帰りもすわれなかった。晩飯は、一人鍋将軍をやった。このように書くとまるで一人暮らしであるかのようだが、子供が三人いるかもしれないし、寮生活かもしれないし、戦地で野営する兵士かもしれない。

 少し前に、夕方服を買いに行った時に河のそばを通った。その時私はムンクの「叫び」に表現されているような不安を感じた。川面の色、水のうねりが、そんな異空間に引き込まれたような感じを私の心にもたらしたのだ。

 昔、魔陀羅に住んでいた時、日が落ちかけた頃に五臓六腑川の河川敷をサイクリングしたら、なんともメランコリックな感情を味わった。同じ河川敷を、夜歩いていたら、「水音」というショートショートの落ちの部分が思い浮かんだ。それを実際に小説にしたのはずいぶんと後になってからである。そんな夜中に、おっさんが道に寝転がっていた。あの人は一体何をやっていたのだろう。

 私は、野宿を必要とするような一人旅が怖い。とはいうものの、ほとんどの人が怖いであろう。一日中、知らない土地を歩くのである。そして日が暮れてくる。ああ、今日はどこで寝ようか。足はすっかり疲れきっているが、なかなかいい場所が見つからない。その不安感は、夕方散歩をする比ではないだろう。実際そういう場合、どこで寝るのだろうか。もちろん寝袋で、である。やはり公園だろうか。交番の横に、頼めば寝せてもらえるという話を聞いたことがある。だが、たぶん地方の場合であろう。都会だと不審人物として尋問されかねない。

 恐怖は、小説や映画で味わうことができる。が、不安を味わえる作品は少ない。私の知る限り、つげ義春くらいである。手軽に不安感を味わいたい方には、夕暮れの散策をお勧めしたい。

 今日(十月三十一日)はふと、空港に飛行機を見に行ってみようという気になった。行き帰りで電車賃千円の旅である。なお、私が風邪をひいて休んでいる会社員、あるいは学生なのか、SOHOをやっている人なのか、ぷー太郎なのか、定年退職後の老人なのかは秘密である。牙髑髏空港に着いた時、ひょっとしてジェット機が飛びたつのを、見るだけの場所なんてないのかな? という疑問が浮かんだ。ドラマにはよく出てくるが。

 心配することはなかった。屋上に見物場はあった。着いた頃にはすっかり夕刻になっていた。別にねらって行ったわけではない。もたもたしているうちにそんな時間になっていたのだ。

 感想は「飛行機って大きいね」である。でかいのがたくさん並んでいる。そこには屋外レストランがあり、カレーライスや焼きそばを売っている。昼に来たのならそのメニューでいいのだが。人々がそれぞれの思いにふけりながら、シュールレアリスムの絵のようにすわっている。大きな箱のような建造物があり、生暖かい風を大量に吹き出している。小さな遊園地−−といっても屋上に観覧車やジェットコースターがあるわけもなく、車やコーヒーカップの形をした乗り物が並んでいる−−があるが、どうも動いているように思えない。やはり、夕方には奇妙な不安感がある。

 しばらく待ったが、離着陸する様子がない。飛びたつまで辛抱強く待つほどの熱意はない。屋内に入ろうとしたその時、轟音が聞こえた。目を向けるのが遅すぎたので、ジャンボ機がちょうど着陸する所しか見られなかった。

 屋内にもたくさんのレストランがある。せっかく来たのだから空港の料理でも食って帰ろうかと思ったが、なにしろ吉野家と松屋にしか入れない小心者なので断念した。

 飛行機に乗るのは高いが、見るだけなら電車賃のみで済むので、ちょっとした観光をしたい方はどうぞ。夕方はお勧めしない。


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