追放される皇帝


  追放

 ブラックホールを抜けると、どこに行くのだろうか。何万光年もの彼方? 未来や過去といった、時空を越えた世界? それとも我々が住んでいるのとは全く別の宇宙?
 その答えは誰も知らない。まだ……。

「つ、追放刑だと!?」
 ゴランは叫んだ。
 西暦三〇XX年、世界は一つに統合されていた。そのリーダーである人物が、皇帝ゴランである。ゴランは最初、先代の皇帝や、そのまた先代の大統領、あるいは首相達にならって、善良な政治を行っていた。しかし時がたつにつれ、ゴランはだんだんと独裁者となり、恐怖政治を行うようになった。人類は徐々に、徐々に、ゴランの奴隷へと成り下がっていったのである。
「このままではいけない!」
 人々は立ち上がり始めた。各地で反乱が起こり、その渦は次第に大きくなっていった。革命は成功し、ゴランは第一級犯罪人として世界裁判にかけられたのである。
「判決を下す。被告人ゴランを追放刑に処す」
「つ、追放刑だと!? 馬鹿なっ! 私がどれだけ人類に貢献してきたと思っているのだっ!」
 ゴランがいくら叫んでも無駄だった。彼の政治はヒトラーのそれよりも残虐であり、全く最悪だったからである。
 死刑よりも厳しい刑は、いろいろなパターンが考えられてきた。その中でも追放刑というのは、かなり厳しい部類に入る。
 それは、囚人をカプセルの中に入れて、ブラックホールの中に放り込むという、考えるだけで身の毛もよだつような刑罰である。
 囚人は、現在いるのとは全く別の世界に追放されるのである。二度と戻ってくることはできない。しかしそれとて、運が良ければの話である。
 恒星は寿命がつきると、超新星となって爆発し、自らの重力によってどんどん中心部へと圧縮されていき、中性子星やブラックホールに変化する。星はやがて点のような大きさになってしまう。それを特異点という。それはブラックホールの中心にある。ブラックホールが自転している場合、特異点はリング状になる。このリングをくぐりぬけることができれば、別の世界へと旅立つことができる。
 ブラックホールは深い深い重力の井戸である。重力は、星の中心に近ければ近いほど大きい。ブラックホールが小さい場合、重力の勾配があまりにも急で、人間の足と、頭の間といったほんの小さな距離でさえ、かかる重力の差は大変大きい。人間はたちまちスパゲッティのように引き伸ばされ、ちぎれてしまう。重い大きなブラックホールなら重力の勾配がずっとゆるやかで、スパゲッティ化も起こらず、死なずにすむだろう。
 つまりブラックホールがたまたま重く大きく、たまたま自転していて、たまたまリングに触れずにすめば、死なずに別世界に行くことができる。しかしその確率は非常に小さい。追放刑は、実質的にはショウの要素が強い死刑だといえる。
「追放」できる最も有力な候補地として選ばれたのが、白鳥座V404番星である。何度も何度もワープを繰り返した結果、宇宙船はようやくそこにたどり着いた。小さな怪力男が巨大な鉄球をぶんぶんと振り回すかのように、ブラックホールの周りをその伴星が回っている。ブラックホールは伴星の表面からガスをはぎとり、食っている。ガスは回転しながらブラックホールへと近づいていく。そのためブラックホールの周りにはガスの巨大な渦巻きができている。
「やめろおっ!」
 しかし、ゴランの叫びは聞き入れられなかった。無情にも、ゴランを乗せたカプセルが宇宙船から射出された。
 皇帝は、虚空に浮かぶ。虚空の皇帝は、悪夢や、憎悪や、その他もろもろの醜怪なものの代名詞となっているその天体に引き込まれていく。その中心にいるのは、神だろうか? 悪魔だろうか?
 カプセルは、ブラックホールの極方向から近づいていく。もしも赤道方向から近づいたなら、あっという間にバラバラになって、特異点の一部となっておしまいである。
 極方向から吹き出す荷電粒子のジェットに逆らいながら、カプセルはブラックホールに近づいていく。ジェットの中に飲み込まれてしまったために、もはや宇宙船からの観測は不可能である。だがしかし、カプセル内部に設置されたカメラが、ゴランの様子をとらえている。ゴランは両手両足を大の字に広げられ、しばられている。光は重力との戦いに敗れ、波長が長くなってしまうために、カプセル内はどんどん赤みがかってくる。ゴランはいろいろな事をわめきちらしているが、その口の動きがどんどんゆっくり、ゆっくりとなっていく。カプセルは徐々に、事象の地平線に近づいていく。事象の地平線を越えると、もはや光でさえ、その中から逃れることはできない。事象の地平線の外側では、どのような「事象」が起こるかは、物理的に予測可能である。だがしかし事象の地平線の中に一歩でも踏み入れれば、もはやどのような「事象」が起こるのかはうかがい知ることができない。
 ブラックホールの近くでは、空間だけでなく、時間もひどく歪んでいる。事象の地平線に近づくにつれて、カプセル内の時計の進み方が遅くなっていく。
 ついにはカプセル内の全てが、凍りついたように動かなくなってしまった。ゴランは事象の地平線の上で、永遠に止まった「時」をすごすだろう。ショウタイムは終わった。その様子はテレビ中継で全世界に放映されていた。人々は狂気乱舞し、あちこちで、「世界よ、有り難う」を合唱し始めた。
 カプセル内の映像、音声は、その後二十年に渡ってモニターされ続けた。音声の波形はもはやそれを音波と呼べないほど、長く、平たいものになっていた。それでもまだ、静止に近いゴランの微弱な「運動」が確認できたため、観測は続けられた。二十年がたち、やっと、「これ以上の観測は意味がない」との判断が下され、観測が打ち切られた。そして調査隊が二十年間記録し続けた音声を超超高速で再生したところ、ゴランの最後の言葉が再生できたのである。
「人類よ、見ておれ。きっと復讐してやるからな」
 しかし、それらは全て、カプセルの外側の世界の時間軸から見た相対的な現象である。カプセル自体はそのまま事象の地平線を越え、ブラックホールの中心へと近づいていった。幸運にも、特異点は点状のものではなく、リング状のそれであった。ゴランの物質としての眼に最後に映ったのは、光輝くリングだった。その後すぐにゴランはカプセルごとスパゲッティのように引き伸ばされ、粉々になってしまった。だがしかし、肉体はバラバラになっても、彼の意識体−−魂、といってもよいものだろうが−−は、そのままリングへと近づき、ついにその中心を通り抜けたのだった。


  ピラミッド

 紀元前二五〇〇年頃のエジプトで、ある異変が起ころうとしていた。それはエジプト文明の古王国時代の最盛期にあたる。ナイル川のほとり、メイドゥムとテル・エル・アルマナの中間くらいの場所に、ある名もない王のピラミッドが建っていた。
 ピラミッドの地下の玄室には、黄金の玉座や、アヌビス神が乗る神輿といった副葬品に囲まれて石棺が置かれており、その中で王のミイラがひっそりと永遠の眠りについていた。石棺の側面に、古代エジプト文字でこのように書かれている。
「魂が王の肉体に戻った時、王はよみがえり、永遠の生命を授かる」
 それまで雲一つない晴れ渡った空だったのに、急に黒雲が空をおおい始め、雷さえとどろき始めた。
「おおっ! あれを見ろ!」
 ピラミッド上空で黒雲がぐるぐると渦を巻いていた。その光景に人々は恐れ、おののいた。そして雲の渦の中心の真っ暗な部分から、いきなり巨大な雷がピラミッドに向かって落ちたのである。巨大な光の柱がピラミッドを包んだ。
 ピラミッドの地下で、石棺の中の王のミイラの体全体が、まぶしい光に包まれた。
 ところがその直後、黒雲は嘘のように晴れ渡り始めた。何事も起こらず、人々は安心した。しかし王のミイラには、確かに異変が起こったのである。ミイラの細胞の一つ一つが恐ろしく遅いスピードで、例えていうならば大陸は実は少しづつ移動しているのだと言われてもそれを実感することはできないが、それぐらい遅く感じられるほどのスピードでよみがえり始めたのである。

 時は移り、西暦一九〇〇年頃、ある名もない考古学者が、やはり名もない王のピラミッドの内部に進入した。考古学者は助手や、現地でやとった人足達を引き連れて、ピラミッドの地下の間に通ずる下降通路を降りていった。やがて地下の間にたどり着き、王のミイラが眠る玄室に近づいた時、現地人の人足達は異様な気配を敏感に感じとり、騒ぎだした。
「静かに! 落ち着いて!」
 考古学者は現地語で叫んだ。彼はついに玄室に入り込み、石棺に近づいていった。彼は緊張した声で人足達に命令した。
「よし、開けろ」
 よいしょ、よいしょと現地語で掛け声をかけながら、人足達は石棺の重いふたを横にずらしていった。その中に現れたもののあまりの意外さに、考古学者とその助手は目をまん丸に見開いた。そこに横たわっていたのはミイラなどではなく、生きているか死んでいるか分からないが、生々しい肉体を持った人間だった。そしてその人物は、彼らが見ている前でパッチリと目を開けたのである。四千四百年もの永い永い眠りから、たった今目覚めたのだ。その人物はむっくりと上半身を起こした。
「あ、あなたは一体誰です」
 考古学者は叫び声に近い声で言った。
「私か……。私の名は……ゴラン……」

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