心霊写真のトリック (2005.1.27) | ||||||||||
心霊写真は全部偽物なのだろうか? 少なくともテレビで紹介されるものは嘘くさい。いちいちすべての写真について出演者全員が驚き、霊能力者がこれは地縛霊ですね、これはあなたを守っている霊ですね、などと言う。誰もトリック写真であることを疑わない。真実味を出したいのであれば、逆にトリック写真研究家を出せばいいのである。で、霊能力者と対決させる。研究家でも論破できなかったわずかな写真について、真実味が増す。 インターネットに掲載されている心霊写真についてはまったく信用できない。パソコンでいくらでも加工できるからだ。アマチュアでも描画ソフトを使いこなしている人であれば、たやすく心霊写真を作ることができるだろう。 紙の形で紹介されるものも、多くは木や岩のちょっとした模様に、強引に人の顔を見出すものである。 (^_^) これだけでもう顔に見えるのだ。人間の脳には物の形を簡略化して覚えている細胞があり、例えばフェイスマークを初めて見た人が、何の説明も受けなくてもそれが顔を表していると分かるのは、その細胞の働きによるものであるらしい。だから木や岩の模様が顔面に見える。 もっとはっきり「変な写真だ」と思えるものはどうだろうか。いくつかの種類がある。
上のようにわざとやったんじゃない場合、撮影者はびっくりする。わざとじゃなくても心霊写真はできてしまうのだ。合成写真であればもっと凝ったものが作れるだろう。しかし人物を切り取って貼り付けた場合、どうしても不自然さが残る。特に髪の毛の一本一本をうまく切り取るのは至難の業だ。つるっぱげの人でも、周囲との光の当たり方の違いにより、プロにはあっさり作り物だと見抜かれてしまうという。 しかし、パソコンに簡単に写真を取り込めるようになった現在では、見抜くのも難しいんじゃないかと思う。先に書いたように、描画ソフトで不自然さを解消できるからだ。 そもそも幽霊には実体がないはずである。霊能者が幽霊を見る場合、幽霊に当たった光がはね返って目に入り、網膜で電気信号に変換されて脳に認識されたとは考えにくい。霊能者自身も言っている。「目で見ているって感じじゃないですね。ここら辺で見ているっていうか」と言って自分の額を指差す。 霊感も心の目も持っていないカメラに、どうして幽霊が写るだろう。 が、カメラが霊感を持つことは絶対にありえないことではない(心霊現象を肯定する場合)。巫女や神主が御幣をふるうのは、御幣に神霊が宿ると言い伝えられてきたからだ。物に霊を憑かせる場合、これをヨリシロと言う。ポルターガイストなんかはヨリシロじゃないかと思う。ちなみに、物のお化けというのもある。柿を取らずに放っておくと、「たんころりん」という妖怪になる。馬具のあぶみが化けた「あぶみくち」や、お金の霊である「かねだま」といったものもいる。 つまり、カメラがヨリシロになっているのであれば魂があるので、人間が幽霊を見るのと同じようにカメラも霊を写すかもしれない。まあ、こんな説を誰かが唱えているのを聞いたことがないから、たぶん違うだろう。 ちなみに、念写には現像段階でのインチキを防ぐためにインスタントカメラが使われるが、インスタントカメラでもトリック写真は作れるという。フィルムをセットした後わざとふたを開ければ不思議な光のしみが写る。シャッターを切ると同時にふたを開けるスイッチを押すと、写ったフィルムが現像されない状態でカメラの中でストップし、二重露光が可能だ。 心霊現象の中で心霊写真ほど疑いやすいものはないと思う。臨死体験や幽霊目撃談のように、言った本人を信じるしかないといったことがないからだ。そこには写真という物的証拠がある。トリック写真研究家や科学者によって、いくらでも論理的な説明がつけられてしまう。 科学的説明がつけられないわずかな例が残るが、それは当然だと思う。霊なんて存在しないとしてもだ。すべての写真について科学的に解明できるとする方が無理だ。例えば何かの実験を100回やっても、全部が想定した通りの結果になるわけがない。測定誤差だとしか言いようのない結果もいくつか出るはずだ。 心霊写真を紹介する番組にトリック写真研究家を出せと書いたが、おそらく無理だろう。純粋な心霊写真として紹介できるものがごくわずかとなり、下手をすると1枚もなくなってしまい、番組として成り立たないに違いない。 |