神はいない (2006.1.4)

 あの世と同様、神はいるのかいないのかなんて証明できない。すると、どっちかじゃないと嫌だという人は、両者の話を聞いて納得できる方を信じるしかない。

 リー・ストロベル著「それでも神は実在するのか?」を読んだ。これまた私にとっては読みにくい本だった。読むのに何ヶ月もかかった。ああ、読書のスピードがどんどん落ちていく。ってテレビ見たりゲームしたりとかそんなことばっかりやってるからなんだが。

 無神論者なら誰でも抱くようないくつかの疑問について、ジャーナリスト、ストロベル氏が神肯定者達(神学者、哲学博士等)に取材をして見解を聞くという内容で、ノンフィクションなのだが雰囲気ばっちりの名前の人がたくさん出てくる。著者のストロベルもそうだがテンプルトンとかガイスラー博士とかダウビリアとかデントンとか。

 あの世にしろ神にしろ、否定者達の意見は実に論理的かつ客観的なのに、肯定者達の意見はすごくこじつけっぽい。なお、この本でいう神とはキリスト教の神である。

No. 否定者の意見 肯定者の反論
1悪や苦難がこの世に存在するのに、なぜ愛の神は放っておくのか? すべての悪を防ごうとしたら、すべての自由を奪い、人間を操り人形同然に貶めなければならない。また人間は苦難によって成長するので、ある種の苦難は必要だ。
2神の奇蹟は科学の法則に相反する。よって奇蹟は真実たりえない。処女であるマリアがイエスを生んだとか、死んだイエスが生き返ったというのは、科学的に考えてありえないことである。 神ならできる。
3生命の神秘は進化論が解明した。よって神は必要ない。 進化論には十分な証拠があるとはいえない。また、自然に無生物から生物が生まれ、DNAの理路整然とした配列ができあがり、勝手に人間にまで進化する確率は限りなく0に近い。
我々は学校で太古の地球の大気や海には生命の元となる成分が含まれていたと教わったが、最近の科学で明らかになってきた太古の地球の成分からアミノ酸やタンパク質ができたとはとうてい考えられない。神の力なくしてはありえない。
4罪のない子供を殺させるような神は崇拝に値しない。神はイスラエル人に、アマレク人を皆殺しにせよと命じている。男も女も子供も乳飲み子も容赦なく殺せと言っている。 アマレク人は堕落の限りを尽くした民である。アマレク人の目的はイスラエル人を大量虐殺することだった。このような邪悪な部族が滅ぼされるのは仕方がない。そこに育つ子供に未来はない。彼らが成長するとやはり堕落した人間になるだろう。だったら罪のない子供のうちに神の元へ来させて幸せに暮らさせた方がいいのだ。
5イエスだけが神への救いの道と説くキリスト教は傲慢極まりない。クリスチャンになった殺人鬼デービット・バーコウィッツは天国行きで、模範的な人生を送ったがイエスには従わなかったガンジーは地獄行きなのか? 「イエスだけが救いの道」というのは、何教であろうがイエスの教え(汝の隣人を愛せとか)と同じことを言っていればそれは正しいという意味だ。
神はバーコウィッツを無罪放免になどしていない。彼は罪の意識によってずっと苦しみ続ける。心の中にある地獄は往々にして深く激しい痛みを引き起こす。また神からみたら人間は全員悪人なので、善人か悪人かは問題ではない。神の恵みを欲し、天国で神と永遠を過ごしたいと思う人が天国に行く。
ではキリスト教があまり広まっていない国の人はどうかというと、そういう人でも「神よ、助けて下さい」と祈ることはあるだろう。その時神はそうした人々に触れてくださるのだ。
6愛の神は人間を地獄で苦しめたりしないはずだ。 地獄は拷問部屋ではない。真っ暗闇の中を永遠にさまようわけでもなければ火に焼かれるわけでもない。聖書に書いてあるのは比喩表現だ。聖書に書いてあることをそのままの意味にとったら全然意味を成さない。神と永遠を過ごす世界が天国で、神と離れた世界が地獄だ。だから神といたいと思う人は天国に行き、神といたくないと思う人は地獄に行く。神の恵みを拒否したのだから、地獄では自分の失ったものを思い、悲観にくれ続ける。(じゃあ具体的にはどんな所なの? と思うが、書いてない。)
7愛を説くはずのキリスト教史が抑圧と暴力に彩られているのはなぜか? 十字軍遠征、宗教裁判、セーラムの魔女裁判など、クリスチャンによる残虐行為は多いが、これらはイエスの教えを正しく理解していない人々によって行われたものだ。

 どうだろうか。これで納得できるだろうか。「やっぱり神はいるんだよ」と思えるだろうか。上は要約だが、実際にはかなり長くしゃべっているので、なんだかうまく言いくるめられたような気になる。著者のストロベルはよほど素直な人なのか、これで納得しちゃっている。

 上の表中で3番目の項目だけ科学的な話だが、神肯定者は「今の科学では生命の神秘を解き明かしたとは言えないね」と言ってるだけであり、だからといって神がいるということにはならない。

 私も昔ちょっとだけ聖書を読んだことがある。なにしろ聖書なんだから悩みを解決してくれるような素晴らしい言葉がたくさん書いてあると思ったのだ。そうじゃなかった。「どうだ、神はすごいぞ! 神は偉いぞ! 目の見えない人だって、あっという間に治しちゃうよ。神に従え!」みたいなことばかり書いてあった。一瞬にして飽きた。

 ちょっとしか読んでないくせになんだが、聖書は次々に神が奇蹟(平たく言えば、超能力)を披露する本だと思う。有名なのはモーゼが海を割って道を作る話だろう。これをノンフィクションだと思えったって無理だ。

 とはいうものの、「神よ、助けて下さい」と祈る人にとっては神が超能力を使えないと意味がない。

 神の奇蹟には現実的な解釈もある。例えばモーゼの話については、月の引力の関係で海水面が極端に低くなることがある。この時浅い海底部分が顔を出し、道になったというのだ。処女懐胎についてはこうだ。マリアは神の子を身ごもったというお告げを受けた(そういう夢を見た)。その時マリアはたまたま生理が止まったために妊娠したと思い込んだ。少女の場合、時としてその生理は極めて不安定なのだ。その後彼女はヨゼフと結婚した。結婚後に性交渉が一切なかったとは考えにくい。つまり、彼女が妊娠したのはお告げを受けた時ではなく、もっと後だったというのだ。死んだイエスが生き返った話については、仮死剤を飲まされて意識を失った後、解毒剤で生き返らされたという。(大槻義彦著「神々のトリック」)

 もっとも、これは神の奇蹟に強引に現実的な解釈を与えるとすれば、の話だ。大槻教授も本気でこう考えているわけではない。「まえがき」で『これら神々の織り成す世界を現代科学の目で見るとどうなるか、合理的に解釈しようとするとどんなふうに考えられるかを、半ば「遊び心」で分析したものです』と断わっている。凡人である私が聖書を読んでも、作り話だとしか思えない。


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